『タイユバンの優雅な食卓』

タイユバンの優雅な食卓 (文春文庫)
パリに移住して、ミシュラン三つ星のレストラン「タイユバン」でコックの体験取材をしているアメリカ人の筆者が、ある晩「客」として予約を入れ妻とともに店の扉を開ける。アペリティフ(食前酒)からデザートに至るまでの、実に3時間以上に及ぶフルコースを堪能するなかで、通常の客には知り得ないシェフたちの考え方や厨房の裏事情を交えつつ、筆者は自身の「食」にまつわる記憶をたどっていく。
タイトルから、タイユバンやその料理にまつわる諸々のエピソードを期待していたのだが(そしてそれは充分に記述されているが)、どちらかというとこの本は、タイユバンという一つの「給仕される料理の頂点」に寄せて書かれた、筆者自身の主張や薀蓄の詰め合わせという感じでやや鼻についた。


そんな中で見つけた珠玉の言葉。シェフのフィリップ・ルジャルドンが料理という行為について述べている。

 ルジャルドンは続けた。「他人を愛せなければ、料理はできない。他人への愛のない人間は食事が貧しく、そもそも料理をしない。もし料理が好きならば、レベルはどうあれ料理をするだろう。テーブルのそばにいるのが好きで、人と分け合いたいと思えば、たとえ卵一個であろうと料理をするだろう。わたしは見ず知らずの人間とキャヴィアを食べるより、友人と卵一個を食べるほうがいい。これがだいじなんだ。料理人になるからには人生を愛していなければならない。世間へ出ていくのが好きでないとね。隠遁生活をしていてはいい料理はできない。料理をするには、他人に向けて開かれた心で、愛を与え、かつ受け取らなければならない」