展覧会岡本太郎

この春、大阪中之島美術館が新しくなった。そのうち訪ねてみたいと思っていたが、私の好きな岡本太郎の展覧会がはじまったので、ちょうどよいということで行ってきた。

 

 

夏休み中だったし、NHKで放送されていた「タロウマン」効果もあったのか、たくさんの親子連れでにぎわっていた。私は30分ごとに時間を区切った事前予約をあらかじめネットで購入していったが、当日発売は完売の時間帯もあったようだ。

展示品はすべて写真撮影OKという大盤振る舞い。

「夜」や「駄々っ子」はじめ、川崎の岡本太郎美術館ですでに何回か見た有名作品もズラッと並んでいた。

大阪ゆかりのこちらのデザインも岡本太郎

 

 

所せましと並べられた太郎作品は、まさに圧巻。底知れぬパワーを感じた。

 

1階に設けられていたタロウマンのジオラマ

こちらはタロウマンならぬ原寸大岡本太郎

 

下鴨納涼古本まつり

毎年夏に下鴨神社糺の森で行われている古書市をのぞいてきた。

すっかり夏空だったが、この2時間後ぐらいに土砂降りとなった。滞在中に降られなくてよかった…。

 

 

京都市内の古書店がテント出店。すでに行ったことがあるお店もチラホラと。10時の開始近くに訪れたのだが、それでも結構混んでいた。本以外にも絵なども売っていた。

嵐山~天龍寺~梅宮大社

ブログを書くのが1年ぶりなのでいきなりになるが、この3月から京都で単身赴任をしているので、休日には自転車であちこちを回っている。

8月11日は「山の日」…ということで、それにちなんで(山じゃないけど)嵐山へ行ってきた。

 

まだ午前中早い時間に着いたのもあったのだろうが、お盆近くの祝日にしては人通りが少なかった。

 

京都五山の第一位、天龍寺足利尊氏が創設、夢想疎石が開山。設立資金を調達するために元との貿易船「天龍寺船」が仕立てられた…というあたりは、日本史で学んだところ。

写真撮影は禁止だったが、法堂(はっとう)の天井に平成12年の再建時に日本画の大家・鈴木松年により描かれた、直径9mの巨大な八方睨みの龍の天井画も見てきた。

 

梅宮大社では梅の実を干していた。

 

 

「紳士の黙約」ドン・ウィンズロウ

先週末の豪雨で、伊豆山の地滑りには衝撃を受けた。

追いかけ報道を見ていると、上流部分でかつて宅地開発がとん挫した経緯があり、その後始末の盛り土処理が問題だったのではないか、とのこと。

 

ちょうどそんな折に読んでいたのが、本書「紳士の黙約」だった。

 

※以下、ネタバレを含みます。

本書の舞台となるのはアメリカ西海岸のサンディエゴ。かつてサーファーやアーティストの聖地だった平和な街にも、宅地開発の波が押し寄せ、都市化していくに伴って貧富の差、人種差別、麻薬、暴力などのさまざまな「現代的」問題が徐々に現れつつある。

それはまさに「波」のようでもあり、また本書の隠れたテーマでもある「地殻変動」のようでもあって、目には見えなくても海の彼方や地下深くで、大きなうねりは静かに生まれ、育ち、そして突然牙をむいて襲い掛かってくる。

その結果、人の命は簡単に奪われるし、それを隠蔽しようとする無理な負荷が、新たな犠牲者を積み重ねていく。

 

性善説性悪説といった考え方は、それ自体はあまり意味がないと思いたい。

だが、実際に利己的が過ぎる人間は、いつだって平気で他人を傷つける。よしんば直接手を下すことはなくとも、自分の知らない誰か、将来迷惑をこうむる誰かには、平気で不幸のボールをパスできる。それはいつか、よけきれない大きな波や、逃げられない地滑りとなって誰かに襲い掛かる。

大事なのはその想像力と、ちょっとの思いやりなのかな。大きな波に立ち向かうには、私には力も勇気もなさすぎるから。

水滸伝読了

昨年12月のエントリ「水滸伝 - 太陽の塔とか」で「水滸伝を通しで読みたくて杉本苑子版を買った」と書いたが、そういえばなんだかんだ半年ほどかけて全5巻を読み終えた。

 

水滸伝をあまり知らない方のためにあらすじを書いておくと、中国の宋の時代、もっというと遼や金といった北方騎馬民族の侵略を受けていた、徽宗皇帝の時世を舞台にしたフィクション。

世の中は乱れ、官僚組織も賄賂が横行するなか、さまざまな理由でドロップアウトした豪傑女傑たちが、武力により独立自治を築く「梁山泊」というとりでに集まり、義軍として官軍に立ち向かう。彼ら彼女らは、唐の時代に封印された百八の魔星の生まれ変わりで宿命によって集まったとされ、まっとうな人生を送りたかっただけなのに、さまざまな乱世の矛盾によって無法者扱いされてきたエピソードが語られていく。地方の暮らしや男女関係のもつれなど、当時の生活風俗の一端が垣間見られて興味深い。

 

…と、ここまでは普通に英雄群像劇や反乱軍ものとして面白いのだが、問題は、百八の星が全員集合して、押し寄せてくる官軍にさまざまな特技や智謀を活かして大勝利してからの展開だ。

なんと、最終的には朝廷にその力を認められ、正規軍のお墨付きをいただき、北方の遼や南方の一揆(方臘の乱)の討伐軍として使われるのだ。それはそれで八面六臂の活躍ではあるのだが、「さっきまで『朝廷の奸をただす!』とか息巻いてる反乱軍だったのに、手のひら返しで朝廷の犬になってるじゃん…」という残念な感じが否めないのだ。

 

史実としては、宋は金と手を組んで遼を滅ぼすのだが、かえって力をつけた金に攻め込まれて首都開封までを失い、首都を杭州に移して南宋時代になっていく。

梁山泊軍も、北方の遼と南方の方臘を倒すところまでは描かれるのだが、戦いのなかで死んだもの、軍功により官職につくもの、郷里に帰って静かに暮らすもの、そして負け戦とわかりつつ押し寄せる金軍に対するため北方に向かうものなど、将星たちがばらばらに歴史の渦に飲み込まれていく形で物語が終わる。

 

まじめに言ってしまえば、水滸伝の成り立ちは講釈師みたいな人が辻に立って細切れにエピソードを語る講談のような形だったというから、そのときそのときでウケるように話をつないだり膨らましていった結果、全体としてはかなり矛盾のある物語になったということだろう。

いちいちおかしなところを指摘するのも野暮なのは充分わかっているのだが、それにしても情緒不安定なリーダー宋江に率いられた百八の将星たちが、やや不憫になった。梁山泊でそれなりに平和に暮らし、金軍が攻め入ってきたらこれと戦って散っていく…という道もあっただろうが。

人とペットの老々介護

「人とペットの老々介護」なる言葉を聞いて衝撃を受けた。長寿化に伴い、ペットが臓器疾患や認知症などの健康障害を持つようになり、一緒に年老いた飼い主がその面倒を見なくてはならない状況が、昨今増えているのだという。

 

ちょっと調べたところによると、犬も猫も7歳という年齢がターニングポイントで、これが人間でいうと44歳くらいにあたるらしい。このあたりから定期的に獣医に「健康診断」をしてもらうと、よくない兆候が出てきたときにすぐ治療に移れる…ということで、まさに人間と一緒だな、と今年46歳の私は思うのでした。