『シンザン物語 蹄跡よ永遠に』

シンザン物語―蹄跡よ永遠に
競馬漬け第10弾。筆者は元競馬記者で、往年の名騎手であり調教師でもあった吉永正人さん(故人)の元妻でもある、作家の吉永みち子氏。
本書は氏が競馬の世界に入ったときにはすでに現役を引退していた伝説の名馬シンザンの、生い立ちから引退、そして危篤の報じられた平成7年までを追いかけたもの。ちなみにシンザンはこの本が出た翌年の1996(平成8)年に満35歳3ヶ月11日という日本のサラブレッド史上最長寿記録を残し大往生を遂げている。
この本が書かれたときには、馬主の橋元幸吉氏(この人は能登の出身だそうだ)をはじめ、管理していた武田文吾調教師、主戦を務めた栗田勝騎手らはすでに他界していたため、シンザンの誕生から現役当時までの様子は、担当厩務員だった中尾謙太郎氏(後に調教師となり2004年に引退)や生産者の松橋吉松の息子一男氏への取材に基づいて書かれている。
デビューから皐月賞までは厩舎でもあまり有力視されていなかったことや、蹴り返しが強すぎる走り方ゆえに蹄を守るため「シンザン鉄」と呼ばれる新しい蹄鉄が発明された話、引退レース直前のローテーションを巡り武田調教師と対立した栗田騎手が調整ルームを抜け出し酒を飲みに行って騎乗停止になった話など、さすがにシンザンほどの名馬のエピソードとなると、これまでどこかで聞いたことがある話が多かった。


そんな中で新たに知って心を動かされた話。


引退後のシンザンを世話し続けた谷川牧場の斉藤優厩務員。この人は牧場に就職してすぐにシンザンが来てその担当になって以来、30年間シンザンを見守っていたのだという。サラブレッド最長寿記録も、この斉藤厩務員の献身的な世話があってこそのもの。

「この谷川牧場で働くようになって三十年でね。来年、定年なんですよ。シンザンが引退してここに来る一年前にここで働くことになってね。二十八歳だったなあ。まさかシンザンだけとつきあって定年迎えるとは思わなかったよね」


それから生産者の松橋親子の物語。
シンザンは松橋親子が牧場を開いてから8年後、サラブレッドの牝馬を買ってきてからわずか5年後に生まれた子供で、言ってみれば宝くじを買い始めて2,3回目にして一等前後賞を当ててしまったようなものだったのだ。
父親の松橋吉松はシンザン皐月賞を勝った直後に亡くなっている。息子の一男はその後のシンザンの活躍で突然大金が舞い込むようになり、「シンザンの生産者としてふさわしく」振舞おうとして地元の飲食店では店の客全員の料金を持ったり高価な車を何台も買ったりして、生活がすっかり狂ってしまった。そんな暮らしがいつまでも続くはずもなく、結局シンザンの母馬の死とともに牧場を売り払って肉体労働者となった。

 住む家一軒残して、後はすべて売って清算すると、松橋は工事現場に出た。
 それから二十年近い年月が流れ、毎年新しいヒーローが生まれ、人々の記憶からシンザンの名もしだいに過去のものになった頃、松橋はひとつの仕事を受けた。
 場所は谷川牧場である。
 国道に面した牧場の敷地に、等身大のシンザンの像が作られることになり、その台座を作ったり、周辺を整備するための工事だという。
 松橋は、引き受けるかどうか迷った。
 シンザンを作った男が、シンザンの銅像を置く場所を整えるために一人夫としてツルハシをふるう。人が見たら何というだろうかという思いがあった。
 しかし、松橋は出かけることにした。
 すでに自分の中でシンザンとのことは整理がついている。
「なんも卑屈になることはねえ。シンザンのためにしてやれることがあるなら、喜んでしてやればいい。日銭も入るしよ」
 松橋は、胸を張って谷川牧場へ出かけて行った。

…競馬は馬のドラマでもあり、またそれに関わる人のドラマでもある。