『魯山人味道』

北大路魯山人・著。魯山人味道 (中公文庫)
魯山人といえば、「美味しんぼ」の中に出てくるエピソードしか知らないのですが。ほとんど。魯山人風すき焼きとか。で、本を読むと、この人って相当しつこくてわがままなオッサンやったんやなあって思いました。
もうね、魯山人の中では完全に 日本料理>諸外国の料理(含む中国) みたいなところがあって、さらに日本料理の中でも 関西(京・大阪)>東京>地方 という強固なヒエラルヒーが出来上がっちゃってるんですよ。まあ確かに、昔は割とそういうところがあったんでしょうけどね。
魚は関西が一番とか、「東京人は味が分からない」とか、とにかく万事この論調。あまつさえ、ラジオに出てくる料理研究家や大学の栄養士なんかもこきおろしたり。知人の家の料理自慢の家政婦までこきおろす始末。道に厳しいというか、大人げないというか。



美味しんぼ」の中での海原雄山や中川がまだワルだった頃(笑)のエピソード*1
新しくオープンしたフランス料理店に雄山が現れて「フランス人は何にでもバターと生クリームのソースをかけたがる。鴨はわさび醤油で食べるのが一番。料理の完成度から言えばフランス料理より日本の懐石料理のほうが上だ」みたいなことを言ってこきおろすのですが、これの元になったと思われるエピソードが載っていました。


魯山人がフランスの「トゥール・ジャルダン」を訪れた時の話。肉を切り分けて給仕しようとしたギャルソンに、「あんなことをしていちゃあ美味く食えない」と、ボイルしたのを丸ごと持ってこさせて…

…果たせるかな、半熟でちょうどうまい具合に処理してあった。
これでよし、私はポケットに用意していた播州竜野の薄口醤油と粉わさびを取り出し、コップの水でわさびを溶き、卓上の酢でねった。私の調理法がどうやら関心を買ったらしく、タキシードに威儀を正したボーイたちがテーブルの前に黒山のように並んで、成り行きいかにと見つめていた。敢えてうぬぼれるわけではないが、かかる格式を重んじる店で、こんな仕方で調理したのは前代未聞のことであろう。
(「すき焼きと鴨料理〜洋食雑感」)

なんてことをやっているのです。昭和のはじめ頃に。そりゃ前代未聞でしょうよ。



そんな魯山人氏なのですが、幼少期は相当苦労されたそうですよ。生まれは京都の上賀茂神社の末端の神官の家なのですが、口減らしのため幼くしてあちこちの家をたらい回しにされたそうです。で、食うや食わずの日々を過ごした中でも、美味しいものを追い求めていたのだそうな。おつかいに行っても、肉の一番美味しいところを自然に注文していたとか。
この辺の生い立ちに、氏の偏執狂的な人格の根本が見られるように思います…。

*1:美味しんぼ」第3巻・料理のルール