『永井路子の私のかまくら道―鎌倉の歴史と陰』

永井路子の私のかまくら道―鎌倉の歴史と陰
作家の永井路子氏は鎌倉幕府草創期を描いた小説『炎環』で直木賞を受賞したが、その前後から鎌倉に住居を構えた関係で、この「私のかまくら道」というエッセイを連載することになった。地元民の目線での鎌倉紹介という内容で、観光名所だけでなく住宅街の裏通りなどを通り抜けていくような、文字通り「私のかまくら道」の散策である。
本書が面白いのは、当時のエッセイを、約20年後に再び同じ道をたどりつつまとめ直したものであること。たった20年ほどの月日の中で、観光地として「再発見」された鎌倉も大きく様変わりしているのが、嘆息とともに語られている。
もっとも鎌倉という土地は、幕府が滅んでから幾たびも「再発見」されている土地のようだ。

江戸時代、品川から水路横浜に下り朝比奈峠を通って鎌倉へ鶴岡八幡へ、江ノ島へ…というのが庶民の小旅行だった。山のない江戸の住民には峠が珍しかっただろう。

現存する頼朝の墓を整備したのは、頼朝の隠し子を祖にするとの言い伝えのある薩摩藩島津家。新田氏傍流の源氏を名乗る徳川家より血筋がいいと主張。
長州藩も、大江広元の子孫を名乗っているため広元の墓を整備した。

…その一方で、頼朝の父・義朝の墓も北条政子の墓も、どこにあったのか今となっては正確には分からなくなっているというのだから、歴史とはほとほと恣意的なものである。