鎌倉行

以前から「一番好きな幕府は鎌倉」と公言してきた私*1だが、そういえば子どもたちをまだ鎌倉に連れて行ったことがなかった。運動会の振替休日を利用して、鎌倉から茅ヶ崎あたりを旅行してきた。


まずは鶴岡八幡宮へ。源頼朝の曾々祖父にあたる八幡太郎義家が整備したと言われている。頼朝が鎌倉に本拠を構えたのも、義家の縁があってのことだったとか。

ちょうど能舞台で神前式が行われていた。「平家物語」によれば、最愛の人・義経と離れ離れになった静が、鎌倉武士たちの前で舞を披露させられた屈辱の舞台である…というのを、もちろんこのカップルは知らないのでしょうね(全然いいんだけど)。

実朝が公暁に襲われたという石段。昨年3月に強風で倒れた大銀杏からは、新しい枝が芽吹いていた。
以前訪れたとき*2に比べると、リスの数が減っていたようにも思えたが、木立の陰にちょこまかと動いている姿を見かけた。あと以前「花とアリス」という映画を見たとき*3、「そのうち自分の娘と2人で鶴岡八幡宮に来たいな」と感じたのを思い出した。


あとはまあ、高徳院へ大仏様も見に行った。

高徳院は海岸からはかなり離れた場所にあるのだが、1498年の明応地震の際に起きた津波は大仏像にまで迫ったという記録があるらしい。恐ろしい。
 
高徳院の境内には、与謝野晶子の歌碑が建てられている。

かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす 夏木立かな


美男子の横顔。


源頼朝の墓。といっても、後世島津藩主が建立したもの。

島津氏は頼朝によって重用され薩摩の地に正式に封じられた。また伝説では島津氏の始祖は頼朝の妾腹ともなっており、まあそういう意味での正統性を主張するためにも、後世に建立されたのだろう。

*1:この日記の最初期、2004年10月15日の日記にすでにそんなことを書いている。というか、もう7年間もこんな駄文を書き続けていることに気付いて愕然とした。

*2:2005年6月18日の日記参照。

*3:2008年9月18日の日記参照。