『新・平家物語(三)』

新・平家物語(三) (吉川英治歴史時代文庫)
摂家を超える力を持つようになった武家。その力をまざまざと見せつけた平治の乱が終わり、敗れた源氏の大将・源義朝は処刑される。その子頼朝も平家軍によって捕まり、あわや処刑となるところを清盛の義理の母・池の禅尼の計らいにより助命を受け、さらに義朝の側女・常盤と今若、乙若、牛若の3人の子も一命を取り止める。この辺を吉川英治は「民草の心を知る清盛の優しさ」と描いているが、それが後の源氏の反転攻勢の種となるのだから、皮肉ではある。

 檻の中から、陽の目を見て、やがて発芽した小さな生命が、伊豆の頼朝とし成長して、関八州の源氏を糾合し、平家一門を脅威したのは、それからわずか二十年目だった。
(禅尼は、誤っていた)
(清盛も、弱かった)
(あの時に、頼朝をだに、生かしておかなかったら)
 史家はそういうし、世間も常識として、頼朝の生命一つが、やがて平家没落の過因であったようにいう。
 しかし、ほんとは、平家凋落の素因は、助けられた頼朝にあったのではなく、助けた池ノ禅尼の方にあったものだといってよい。
 なぜなら、かの女の善行は、たしかに、良人を亡くして後も、貞潔を守った尼後家の慈悲心にはちがいなかったが、その代わりにかの女の行為はそのまま、「政治を私する昨日までの通弊」を、そっくり清盛の家庭に持ち入れてしまった。


「二代の后」として義理の母をめとった二条帝と後白河上皇が、次第に対立を深めていくところで、第三巻は幕を閉じる。