『新・平家物語(十三)』

新・平家物語(十三) (吉川英治歴史時代文庫)
読了。本巻では屋島の合戦から壇ノ浦の最終決戦前夜までが描かれる。いよいよ平家の最期が近付いてきた。その後にはいま大活躍中の義経の零落も控えており、だんだんと読み進めるのが辛くなってきたのだが、しょうがない。
屋島で敗れ西へ落ちていく平家の船団の中で、平教経がひとりごつ述懐が振るっている。

 虹色の屋島の影を振り向いて、能登守教経は、船やぐらの上に、ただ一人、泣き笑いとも自嘲ともつかない嘯きをもらしていた。
「おもしろい。おもしろいほど、事ごとに食い違ってくる。不運とは、こうしたものか。どこまで、人と運とが、もつれあうか、もてあそばれて行くものか、あまんじて不運と闘ってみるのも愉しくないことはない。どうせ落ち目の運命ならば、この落日のように、荘厳でありたいものだ。せめて平家の末路は荘厳に──」

また、屋島の六万寺に平家の将たちが残した歌も美しくも切ない。

今日までもあればあるかの我が身かは 夢の中にも夢をみつかな 門脇中納言教盛
世のなかは昔がたりになりぬれど 紅葉の色は見し世なりけり 皇后宮亮経正

この歌が記された六万寺の柱はずっと後世まで残っていたそうで、天正年間にある兵が寺に火をかけて焼失させたときに、長曾我部元親は怒ってその部下の首をはねたという。


そういう中でも一服の清涼剤的な挿話として描かれるのが、ご存知屋島の合戦での「扇の的」のエピソード。なんとなく、「この扇を射てみよ」「おう、我こそは那須与一なり、南無八幡台菩薩ご照覧あれ」といった王朝時代の鷹揚さを引きずったのんきな話なのかと理解していたが、本書では陸路からの加勢を待つ平家側の時間稼ぎとして描かれており、また射た側の那須与一宗高にしても頼朝のお目付け役である梶原景時の陣営を抜け義経の下に走ってきた末の行動なので、見事射抜いた後も毀誉褒貶にさらされるところまで言及されているので、かなりイメージが変えられた。


それと吉川英治愛読者としてニヤリとさせられたのは、平家側にあって一人降伏を唱えた平時忠(清盛の妻・時子の弟)が、壇ノ浦の合戦直前に孤島に幽閉されるという話が出てくるのだが、その島の名が「船島」とあるのだ。もちろんこれは、作者の代表作『宮本武蔵』のクライマックスを飾る、あの巌流島のことである。