『新・平家物語(四)』

新・平家物語(四) (吉川英治歴史時代文庫)
全16巻中第4巻。ようやく四分の一までこぎつけた。本巻の大部分は、牛若こと遮那王こと後の義経の物語に割かれている。母親と引き離され鞍馬の山に預けられた少年牛若は、源氏再興を図る雌伏の武士たちに守り立てられ、やがて奥州藤原氏の息のかかった商人・金売り吉次により東国へ導かれ、そこで青年期を過ごす。


後白河上皇の糸引き(という噂)で、叡山の山法師たちが都に押し寄せ、帰り際に東山一帯を(「額打論」の因縁で)焼き払ってしまった後の一幕が面白かった。

 すると、ある日、焼け跡の大門のそばに、次のように書いた立札を打った者がある。
  観音火坑変成池ハ如何ニ(クワンオンクワカウヘンジャウチハイカニ)
 いうまでもなく、このいたずらは、叡山側の法師の仕業にちがいない。
 その意味は、
(どうだ、このざまは。──もし人が、火の坑(あな)に陥ちようとしたとき、観音の御名をとなえれば、火の坑も変じて池になるなどと、普門品(ふもんぼん)には、観音力の絶大を説いているが、観音自体、炎にあえば、この通り灰になってしまったではないか)
 と、火放けをしたあげく、揶揄ったものである。
 すると、次の日、同じ大門のそばに、清水寺の一僧でもあろうか。墨くろぐろと書いて、こう、返し札を立てた。
  歴劫(リャクゴフ)、不思議、力及バズ
(──おい、冗談をいうな。この世は、歴劫、幾千万年もつづいてゆく。一年もその一齣。十年もその一齣にすぎぬ。きのうやきょうの、目前の一現象がなんだ。観音力の不思議を疑うなら、もっと大きな眼を開いてものをいえ。それは、われら凡夫でも、推し測れないことだから仕方がない)
 相手の嘲笑にたいし、また嘲笑をもって、報いているのである。