『鯨捕りよ、語れ!』

鯨捕りよ、語れ!
作家のC・W・ニコル氏が、南氷洋捕鯨船に同乗して見聞きしたことを書き綴った、自伝エッセイ。
C・W・ニコルという人、一時期マスメディアで露出が多くて私の中では普通に「ナチュラリスト」的な認識でいたのだが、もともと何をしているた人で、どの国の出身なのかも知らなかった。この本によると氏は英国(ウェールズ)出身で、後にカナダに渡り、政府の常勤職員として海洋ほ乳類の生態調査や捕鯨の監視などに携わっていたそうだ。それが紆余曲折の末、職を辞し日本人の妻や息子たちをおいて単身来日、捕鯨の町・太地に1年間住んで取材を重ね、さらにこの本で書かれている南氷洋捕鯨への同行取材を経て、捕鯨を題材とした歴史小説『勇魚(いさな)』を発表、ベストセラー作家となるわけだ。
この本に書かれている時期、氏はまだ日本で小説を書いておらず、「本当に作品が書けるのか」と自問自答する日々だった。小説家志望の青年*1の苦闘記という面でも興味深い。


捕鯨に関する本を読んでいるうち、大まかな概要や歴史的な経緯はつかめてきたのだが、実際に船に乗っている人たちの行動や考え方については本書で初めて触れたので、非常に面白く感じた。
戦後間もない頃の捕鯨船は、旧帝国海軍の乗組員たちの雇用の受け皿として機能し、南氷洋捕鯨も荒れ果てた日本にタンパク源を持ち帰る崇高な仕事とみなされていたそうだ。
また、江戸時代から日本沿海で捕鯨を行ってきた和歌山の太地出身の人が、やはりそのまま戦後の捕鯨にも深く関わっているというのが興味深かった。ちなみに昨年数々の賞を受賞した「The Cove」というドキュメンタリー映画の題材ともなっている太地のイルカ漁について、捕鯨や漁そのものには肯定的なニコル氏も「もっと、きれいに殺せないのか?」と憤りの言葉を残しているのが印象に残る。


筆者は捕鯨についてはどちらかというと肯定派のようだが、その出自ゆえに、日本人からは論戦を吹っかけられ、やがて話の分かる奴として歓迎される。一方で欧米人からは反対派の仲間に引きずり込まれそうになり、意見の相違が分かると途端に目の敵にされる。
その姿は、長年に渡り日本で自分の居場所を模索し続けてきた筆者自身のアイデンティティ*2そのものとも重なり、実に不安定に揺れ動いている。まるで南極の海に浮かぶ氷山さながらに。
その辺りの葛藤を包み隠さず書き記しているところが、この本の最大の魅力だと思った。

*1:実際には、既にカナダ時代に何冊かの小説や絵本を出版していた。

*2:氏は1995年に日本国籍を取得している。