『三島由紀夫 剣と寒紅』

三島由紀夫―剣と寒紅
三島由紀夫が『禁色』を書いていた頃に、同性愛関係にあったという著者の福島次郎氏*1。その氏が、交際当時から三島由紀夫自決前後までを回想したノンフィクション小説。
ただし、本作品中で三島由紀夫が福島氏に宛てて送った手紙の内容を、三島の遺族に無断で掲載しているということで、遺族から「著作権侵害にあたる」と訴えられ、2000年11月に最高裁で福島氏側が敗訴、この本の販売・出版が差し止められている。
こちらのページによると、2000年12月8日付で以下のような新聞広告が出されたという。

福島次郎著「三島由紀夫−剣と寒紅」についてのお知らせ

 平成10年3月20日付けで、株式会社文藝春秋が出版した福島次郎著「三島由紀夫ー剣と寒紅」に掲載した故三島由紀夫氏の手紙及び葉書は、すべて故三島由紀夫氏が公表の意志なく、福島次郎あてに発信、送付されたものを、私どもがご遺族に無断で公表、出版したものであります。
 これらは、故三島由紀夫氏が生存しているとしたならば、その公表権の侵害となるべき行為であり、既に出版中止しております。これにより、大変ご迷惑をおかけしました。謹んでお知らせ申し上げます。
  平成12年12月8日
株式会社 文藝春秋
 代表取締役 白石 勝
 発行所   和田 宏
 著者    福島次郎

つまり今は絶版の本なわけだが、古本屋で見つけて購入。


ありていに言えば、趣味の悪い暴露本。
本当に三島由紀夫と関係があったのなら、その思い出は自分の胸の中に大切にしまっておくべきものだと思う。それを三島の死後数十年もたって出版するというのは、どう言い訳をしても趣味が悪い。
あまつさえ、筆者は「三島由紀夫からもらった手紙を東京の神田の古本屋に売った」という話を、別段悪びれる風でもなく書いている。これもちょっと…いただけない。


三島と筆者の性行為が赤裸々に(露悪的に)書かれている場面も、まあ感心はできない(…と言いつつ引用する私も悪趣味だが)。

 三島さんは、身悶えし、小さな声で、私の耳元にささやいた。
「ぼく……幸せ……」
 歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。今まで聞いてきた三島さんの声音とはあまりに違う。どこから出る声か。
 その瞬間、私は、なぜか灰かぐらをかぶったような気持になった。だが、ことはもうすすんでいる。私は、頭に灰かぐらをかぶったまま、キスを続けた。私の体よりもずっと小さく細い三島さんの体は、腰が抜けそうに、私の両腕の中で、柔かく、ぐにゃぐにゃになっていた。
(中略)私は、自分の上で、何が行われているのかわからなかった。わかろうとはしなかった。わかりたくなかった。
 目を固く閉じている私の耳に、三島さんの激しい咽び泣きが、火花のようにとび散る。やがて、駄々をこねて、甘えわめく子供のような大げさな声をあげて、三島さんが動かなくなった時、私は初めて意識を戻し、自分の股間の奥に収めきれず、右の太ももの付け根から、ゆっくりと一筋の熱いものがあふれでて、臀部の方へ流れ落ちるのを感じていた。
「あと少し休んでからね。また……」
 こうささやく三島さんの口調には、まるで私がそれを待っているかのような思い入れがあった。私の体も心も、もう、死んでいるというのに。


とは言え、筆者が三島由紀夫と濃密な時を過ごした昭和二十年代半ばの情景と、三島が『奔馬豊饒の海・第2巻)』の取材で筆者の住む熊本を訪れた時のエピソードは、とても興味深かった。
青年時代の筆者は『仮面の告白』を読み、自分の中にあった同性愛的気質を再確認し、その後『禁色』の第一部を読んで、作中に出てくるゲイ喫茶「ルドン」が実在するのかどうかを尋ねるため、わざわざ三島邸を訪れたという。それが筆者と三島由紀夫の出会いだとか。
この当時のエピソードとして、『禁色』の「ルドン」のモデルとなった銀座の喫茶店「ブランズウィック」の話(野坂昭如氏も一時バイトをしていたのだとか!)や、同じく『禁色』の主人公悠一のモデルとなったゲイの青年についての話、『禁色』の第二部『秘楽』と『夏子の冒険』は同時期に書かれていて日替わりで執筆されていたという話、また三島由紀夫の両親の話など、興味深い話が数多く書かれている。


とにかく、悪趣味な本であることは間違いないし、後半は、三島由紀夫の晩年の行動を何でもかんでも自分との関係で説明しようとする牽強付会も鼻につくのだが、それでも熊本で長年高校の国語教師をしていたという福島次郎氏の筆は、かなり読ませる。自分でも「俺バカだなあ」と思いつつ、一気に読んでしまった。

*1:今年の2月22日に76歳で死去されています