『若きサムライのために』

若きサムライのために (文春文庫)
三島漬け第7弾。
三島由紀夫が「Pocket パンチOh!」*1という雑誌に連載していた「若きサムライのための精神講話」というエッセイ12本と、日米安保問題や憲法論などを福田赳夫*2福田恒存*3らと論じた対談集、それに「お茶漬けナショナリズム」「東大を動物園にしろ」の2本のエッセイが収められた、雑多な寄せ集めのような本。


昭和42年から44年にかけて書かれたり対談されたものなのだが、ということはつまり、昭和45年の自決の直前の作品で、もう完全に「そちら」側に行ってしまったマッチョな三島由紀夫の声明。
まあ掲載した雑誌の性格上、少し挑発気味な味付けはされているのだろうが。


しかしこの人は、途中から「そちら」側に行ってしまったように思えて、作品を読んでいくと実は初期のものから言っていることはほぼ首尾一貫しているのがわかる。彼が言いたかったこと、それは「(自分の中で)完璧に形作られた美の世界を護りたい」ということと、「美の世界を護ることの困難さ」だったと思う。
晩年は、それが保守的な極論に聞こえただけ。言っている中身は意外とまともで、また、こんな用語はアレなのだが、女々しくさえあるのだ。

 言論の自由の名のもとに、人々が自分の未熟な、ばからしい言論を大声で主張する世の中は、自分の言論に対するつつしみ深さというものが忘れられた世の中でもある。人々は、自分の意見──政治的意見ですらも何ら羞恥心を持たずに発言する。
 戦後の若い人たちが質問に応じて堂々と自分の意見を吐くのを、大人たちは新しい日本人の姿だと思って喜んでながめているが、それくらいの意見は、われわれの若い時代にだってあったのである。ただわれわれの若い時代は、言うにいわれぬ羞恥心があって、自分の若い未熟な言論を大人の前でさらすことが恥かしく、またためらわれたからであった。そこには、自己顕示の感情と、また同時に自己嫌悪の感情とがまざり合い、高い誇りと同時に、自分を正確に評価しようとするやみ難い欲求とが戦っていた。
(「羞恥心について」)

…ネットで(私を含めた)有象無象が言論風発している今の世の中を見て、三島はどう思うのだろう?

*1:平凡パンチ」の姉妹紙だとか。

*2:三島由紀夫が東大卒業後大蔵省(当時)に入省したとき、銀行局に着任したそうだが、その直前まで福田赳夫が銀行局長をやっていたのだとか。

*3:本文はもちろん「旧仮名遣ひ」。