『潮騒』

潮騒 (新潮文庫)
三島漬け第3弾。
これまで私が読んだ三島由紀夫の作品のなかでは、文句なしにこれが一番好き。
ものすごくストレートな純愛小説なのと、三島作品のなかでは珍しくハッピーエンドなのとで、「『潮騒』が好き」なんていうとちょっとアホかと思われそうなのですが。でもやっぱり好きだな。


伊勢湾に浮かぶ歌島*1の若き漁師・新治は、村の有力者の娘・初江と恋仲になり、数々の障害を越えて婚約する…と、もう本当にそれだけのお話。
新治と初江は最後まで清らかな仲だし、初江が悪者に貞操を汚されそうになっても、島の神様が守ってくれる(笑)。最後には初江の父親(頑固ジジイ)も2人の仲を認めてくれて、村全体が祝福。
これ、一歩間違えばこんな陳腐な物語はありません。
でも昨今のセカチューだのなんだのに比べて、ここで描かれた「純愛」の(そして文体の)なんと端麗でみずみずしいことか。


よくこの作品は、一連の三島文学のなかで「浮いている」などと言われます。
先述のように、男女が幸せに結ばれるところや、徹頭徹尾清く明るい物語世界などからそう言われるのでしょう。確かにそれは、『憂国』や『禁色』、『金閣寺』、『サド侯爵夫人』といった作品とは大違いです。


しかし、当然ながらこれもまた三島由紀夫の一つの「仮面」。この物語で作者は、一種の理想世界を描いているのだと思います。

  • 男女の清らかな恋愛の成就

これはもう見たまま。いかに50年代なかばの田舎の風景とはいえ、ここまで清純な恋愛を描くとは。
この小説はギリシャ神話の世界(『ダフニスとクロエ』)を翻案したものだともいいますが、ほとんどフィクションの極みに到達していると思います。

  • 「行動者」としての新治の成長

この物語で語られる歌島の住人たちは、三島初期の短編『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』*2のなかで、「思想者」である殺人者と対比されていた「海賊」と、ほぼ同じ人種だと思います。頭ではなく体で、理論ではなく自然に沿って生きています。
三島由紀夫本人は、どちらかというと「海賊(≒歌島の住人)になりたくてなれなかった人」なのではないでしょうか。


この物語を読んで、もう本当にベタベタな展開なのに最後には感動してしまうのは、そこに作者にとっての、そして多くの読者にとっての「達成されなかった(青春の)理想」が、きらびやかな箱庭のように詰まっているからではないでしょうか。

*1:神島という実在の島をモデルとした、架空の島

*2:7月13日の日記参照