『反町隆史 青春の足跡』

反町隆史―青春の足跡

反町隆史―青春の足跡

今年は「平家物語」を軸に知識の幅を広げているのだが、図書館で掘り当てた次なる獲物は反町隆史の評伝。何故なら彼は、ジャニーズ事務所所属時代「平家派」なるグループに所属していたから。
「平家派」には当時本名の野口隆史を名乗っていた反町、現TOKIOの城島、国分、山口などが所属していたらしいが、反町隆史はグループ結成からわずか数か月後にジャニーズ事務所を辞めたそうだ(その辺りの経緯は、いまだに謎に包まれているらしい)。
本書は、反町隆史がドラマ「ビーチボーイズ」に初主演し、同ドラマの主題歌「Forever」でシングルデビュー、同曲も収録されたファーストアルバム「メッセージ」を発表した直後の、1997年末に出版された。いわば人気の一つのピークに書かれた評伝である。


小中から専門学校時代、モデル時代、タレント時代と順を追って書かれていると言っても、本人はもちろんのこと、実名でのインタビューは一切なく、あるのは「モデル時代のある友人は…」とか、「小学校時代の同級生・守屋光子さん(仮名)母娘はこう語る」とか、あるいは雑誌か何かで本人が語ったこととか、とにかくソースがあやふやな証言ばかり。今ならgoogleで検索すればちょっと気のきいた中学生でも3時間くらいで書けるレベルの文章で、まあ、読むだけ時間の無駄だった。
書くことがなかったせいか、やたらと生家のある埼玉のとある住宅街周辺についての描写が多く、「浦和競馬場が遊び場だった」とか、通っていた小中学校が実名で「家から10分ほどの位置にある」と書かれていたりとか、住所が特定されてしまうような部分もあるのだが、これっていいのだろうか? まあ今でもご両親がそこに住んでいるかどうか分からないけど。


どうやら小中学校時代は背が小さいながらも人気者でサッカーに打ち込んでいた野口(反町)少年は、高校へは進学せず「夢を追いかける」ということで一人暮らしを始め、モデル事務所に所属する。情報系の専門学校には一応籍は置いていたようだが、あまり出席していなかったらしい。
高い目標を持った努力家だった野口(反町)君は、ボクシングジムで体を鍛え、背もぐんぐん伸び、モデルの世界でチャンスをつかみ、晴れてメンズノンノの専属モデルとなる。パリコレなどにも参加したそうだが、モデルより主体的に自分が出せる俳優業に転身、女子高生から主婦、果ては同年代の男性に至るまで、幅広い層の支持を集める超人気タレントとなったのはご案内のとおり。
同じモデル出身のりょうと10年近く付き合っていた話とか、今となっては懐かしいな〜と感じるエピソードもあったが、まあそれはそれで。
あと、一人になれる時間が欲しくて、よく首都高の非常駐車帯に愛車のBMWを停めてくつろいでいたそうだが、そういうのは危ないのでやめましょう。

 白か黒、好きか嫌い、許せるか許せないかがはっきり分かれる性格。AB型だから両極端だというのは、本人の言葉だ。その割り切り方や切り替えの潔さは、ドラマが終わった途端に、大好きだった車を売ってママチャリを買う、といった行動にも表れている。
「ドラマが終わったとき、新人にしてはいい出来だとみんなほめてくれた。それは嬉しかったよ。無我夢中でやったことを評価してもらえたんだから。役者の手応えを感じたし。でもその言葉におだてられて自分を甘やかしたくないっていう気持ちの方が強かった」
(中略)
「俺の戦いはこれから。今の俺に車はいらない。チャリだってどこにでも行けるし、金もかからないしさ」
 世間で評価されていても、自信満々ではないようだ。
「ビッグはまだ人間の域。人間を超越したスーパースターになりたい」
 という発言も、「もし、そうなれなかったら」という不安を心の中に押し隠した、ギリギリのところでの自分自身への鼓舞だ。24歳にして、なんと壮絶な覚悟だろう。
 そんな反町、自分へのプレッシャーを含め忍耐力には自信がある。そこで浮上した、反町のガマンの美学。一番好きなものは最後に食べる。たとえばお寿司を頼めばホタテ、エビ、イカは最後に食べるといった具合だ。
 ガマンの美学はファッションにまで及ぶ。真冬の寒い日でも彼はいつも素足に革靴なのだ。寒くないのかと聞くと、
「靴下はカッコ悪いから」
 と答える。(後略)

…約200ページにわたって、この調子の文章と内容なのである。


追記:アルバム「メッセージ」を借りて聴いてみた。これは凄い。名曲「ロイヤルミルクティー」が聴けてよかった。ただ、もっと凄いのはamazonのレビューかもしれない…。