『新・平家物語(七)』

新・平家物語(七) (吉川英治歴史時代文庫)
いよいよ源三位頼政以仁王を奉じて挙兵。頼政以仁王自身はあっけなく討たれてしまうものの、宮の宣旨は東国の源氏残党に伝えられ、戦火は広がっていく。
伊豆で政子と乳繰り合っていた頼朝のもとにも宣旨が届き、義父の北条時政の手助けで挙兵するのだが、こちらもそううまく事は運ばず、石橋山の戦いで壊滅的打撃を受け散り散りになってしまう。このときに都の平家が俊敏に討伐の兵を起こしていたら、後の鎌倉幕府はなかったかもしれない。
何とか難を逃れた頼朝は、再起の後はぐんぐん兵を集めて、ついに父祖ゆかりの地、鎌倉に入る。


この巻では、平家に反旗を翻すそれぞれの立場・関係性が見もの。
源頼政以仁王の関係性は、宣旨を一読した頼政の以下のような感想に複雑に現れている。

 清盛をさして、国家を亡ぼし、百官万民を悩乱する毒賊であるといい、皇院を監禁し、国財を盗み、公領を私に奪い、また仏法破滅の仏敵であるともいい、あらゆる罪悪を鳴らしている。これを見て、憤激しない者はないような辞句である。
(激越な……、余りに激越な)
 読み下しつつ、頼政にすらそう思えた。お若いのだ。つまり文章に出るお若さなのであろう。
 地方武者を蹶起させるためには、あるいは、この若さこそ、貴重かもしれない。自分が年をとりすぎているため、眼につよく感じすぎるという点もある。頼政は反省し、そこはむしろ、宮の壮志を見直した。

頼政このとき77歳、以仁王はまだ青年の域を出ない。


また、源頼朝北条時政・泰時父子の微妙な関係性も複雑である。娘婿に対し乾坤一擲の支援をしようとはやる時政を、泰時は冷静に一歩引いていさめる場面が描かれている。
考えてみたら東国の武士たちは、いくら八幡太郎にご恩があるとはいえ、頼朝が源氏の嫡流であるというだけで一族郎党全てを投げ打って味方についたわけではないだろう。そこには様々な思惑も働いていただろうし、現に昔日の源氏への恩よりも今日の平家への恩を大事とした武士もいた。
頼朝は幕府体制を固めるところまでは旗印として担ぎ上げられていたが、源氏将軍が3代で途絶えたのを見ても、これは源氏の復興ということではなく、都の貴族に対する東国武士の反旗だった…と見るのが事実に近いのかもしれない。
物語の中で、これから頼朝がそうした海千山千の武士たちをどう操っていく場面が描かれているのか、実に楽しみだ。