『クオリア降臨』

クオリア降臨
デスマスクみたいな表紙。
最近メディア露出過多のきらいもある茂木健一郎氏だが、著書を読んだことがなかったので、どうでもいい新書以外で何か読んでみようと思い立ち、この本に行き会った。タイトルが茂木氏お得意の「クオリア」だったので、てっきりその辺の思想が説明されているのだとばかり思っていたら、これって脳科学者の立場から書かれた文芸批評だったのか。
茂木氏は、夏目漱石の『三四郎』から三島由紀夫太宰治、果ては綿矢りさに至るまでの近代文学を、小林秀雄の「印象批評」に親近感を寄せつつ読み解いていく。
その筆致は非常に明快であり、比喩は時にユーモアを交え分かりやすい。この人の文章が高校の現国の評論文のテストで、問題文に転用されることが多いというのもうなずける。「下線部『それ』の指し示す内容は何か、200字以内で答えよ」なんていう問いが、実に立てやすいのだ。


…それにしても結局「クオリア」とは何なのか、これを読んだだけでは理解できなかった。

 現代の脳科学の定義においては、意識の中で、他と区別された形で「これ」とはっきり把握されるものは、全てクオリアである。
 批評の対象から受ける印象に直接言及することなく、精神分析言語学構造主義記号論などの成果を駆使しつつ解体的、分析的に作品を論じているような文章も、それを構成する言葉の意味が意識の中で反映される限りにおいて、それはクオリアである。

 クオリアは、柔らかにダイナミックに変化する脳の生命作用を支える、結晶化作用である。全ての「美しさ」の体験の背後に、その体験を構成しているクオリアという基盤がある以上、美しさは、生命の作用に起源を持ちながら、どこか生命と遠い鉱物標本の輝きと同じような表情を見せるのは当然のことである。

ひとつ思ったのは、表紙カバーがデスマスクのような作者自身の写真でありながら、そのカバーを取り去ると何の色気もない黒一色だったのが、もしかしたら何かを暗示しているのかもしれない。
(ついでに言うと、表紙カバーの裏側を見てビックリ…!)