『ギャロップ』

ギャロップ (角川文庫)

ギャロップ (角川文庫)

ひと昔前まで「スポーツうるぐす」あたりで競馬の話をする時に出てきたりしていた、作家の飯星景子さん。どういう作品を書いていてどういう点で競馬と関わりがあるのか、これまでよく知らなかったのだが、古本屋で見つけた本書により納得。
本書のあとがきによると、彼女が新進の若手女流作家だった頃、テレビ番組の取材で初めて平成元年の秋の天皇賞の時に東京競馬場を訪れたそうだ。レースのスタート直前、馬場柵の内側からスタンドを振り返ったところ、そこを埋め尽くす15万人の顔、顔、顔に圧倒され、「競馬を見に集まったこんなに大勢の人がそれぞれに自分の人生を歩んでいる」と気付き、えもいわれぬ感動を覚えたのだそうだ。
それからいっぺんに競馬ファンになってしまった飯星さんは、取材と称して毎週のように競馬場を訪れ、そうして着想した短編の連載を1冊にしたのが本書というわけ。
作者が感動に震えた平成元年の天皇賞(優勝:スーパークリーク)から始まり、同年のエリザベス女王杯(優勝:サンドピアリス)、マイルチャンピオンシップ(優勝:オグリキャップ)、ジャパンカップ(優勝:ホーリックス)、翌平成2年の桜花賞(優勝:アグネスフローラ)、日本ダービー(優勝:アイネスフウジン)、そして大井記念(優勝:ダイコウガルダン)までの7つのレースを舞台に、遠距離恋愛のカップルや確執を抱えた親子など様々な人間関係が展開していく。
列記したレースの勝ち馬を見れば分かるとおり、この平成元年からの数年というのは日本の競馬が最も輝いていた時代であり、バブルの入り口だったという点で日本の景気が最も輝いていた時代でもある。現在の沈鬱な時代から本書を読み返すと、短編として活字に封じ込められた当時の空気が、何かとてつもない恥かしさとまぶしさに溢れているように見えてくる。
たとえば以下のような部分。

 それにしても、車両を見渡して高島平が続ける。
「今日はすげえ人になるんだろうな」
「すごいぞ、きっと。ジャネット・ジャクソンのコンサートより盛り上がるぞ」
 大介の言葉に全員が、行ったのかよ、という冷ややかな視線を送った。
「行ってないけどさ」
 大介は肩をすくめた。

平成2年日本ダービー当日を舞台にした短編の一節で、東京競馬場に向う京王線車内での浪人生たちの会話なのだが、時代の空気を反映していて感慨深いものがある。