『シャーロック・ホームズの思い出』

シャーロック・ホームズの思い出 (シャーロック・ホームズ全集)
競馬漬け第6弾。
シャーロック・ホームズものは、それこそ小学生から中学生にかけて「冒険」、「回想」、「生還」とほとんどを読み漁った。今回は河出書房新社の全集(初出時に最も近い形で並べられ、オックスフォード大学出版部による最新の注釈集も抜粋して付された、日本語訳における決定版?)により読み返してみた。そのため昔読んだ覚えのある「シャーロック・ホームズの回想」ではなく、「思い出」というタイトルになっている。ちなみに原題は「The Memoirs of Sherlock Holms」。
回想、思い出、メモワール、なんでもいいが、とにかくこの短編集は、最後に収められたその名も「最後の事件」という作品で、ホームズが宿敵モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝で格闘し、2人ともに滝に落ちて死んでしまう…ということで知られている。
本来は歴史小説家として名を上げたかったコナン・ドイルが、探偵小説で有名になったことを不本意に思い、なんとかホームズを殺して連載をやめてしまおうと思いながらも、出版社や家族の反対によってグズグズ迷いながら執筆していた作品群が、ちょうどこの「思い出」に収められている一連の短編なのだそうだ。
そういうわけで最終的には「最後の事件」の発表で、ドイルの望みどおり連載はいったん終了してしまう。ところが連載終了とともにロンドン市民は深い悲しみに包まれ、シティの男たちは喪章をつけて歩き、ドイルのもとには抗議の手紙が殺到したそうだ。そこでやむなくドイルは再び筆をとり、「シャーロック・ホームズは生きていた!」という内容の「空き家の冒険」を発表するわけだ。「魁!!男塾」の雛形がすでに19世紀のイギリスに見られたのである(蛇足)。


で、この本のどこが競馬に関係しているのかというと、本短編集の巻頭を飾る短編が「白銀(シルヴァー・ブレイズ)号事件」という作品で、これがまさに競馬の話なのだ。


ウェセックス・プレート」という大レースを目前にしたある夜、本命馬シルバーブレイズ号が忽然と姿を消し、管理する調教師も自宅近くで何者かに殺害される。馬はどこへ消えたのか、調教師を殺したのは誰なのか…。現場を訪れたホームズは、いくつかの調査を行った後、馬主に「シルバーブレイズ号はレースの出走を取り消さなくてもいいですよ」と保障する。
半信半疑の馬主はレース当日になっても自分の馬が帰ってこないことに怒り出すが、一緒に競馬場を訪れたホームズたちとレースを見ていると、先頭でゴールを駆け抜けたのはなんと愛馬シルバーブレイズだった。果たしてシルバーブレイズはどこへ行っていたのか? そして調教師殺しの犯人は誰だったのか?

この話は、トリックや意外性、意表をつく構成という点では傑作といえるくらいよくまとまっているのだが、実はこれを書いた当時、コナン・ドイルは競馬についてあまり詳しくなかったため、ちょっとでもルールを知っていればありえないトリックや犯罪の動機が使われている。
ドイルは自伝『わが思い出と冒険』でこう振り返っている。

…時に私は、正確な知識を持ち合わせていない分野に、敢えて挑むこともあった。例えば私は、競馬ファンであったことはないのだが、それでも《白銀号事件》を執筆するという冒険に出たことがあった。この物語は、馬の調教とレースによるものだった。小説の出来は申し分がなく、またホームズも絶好調であったといえるだろう。しかし私が競馬に関して無知であることは、広く世間の知るところとなってしまった。私はあるスポーツ新聞で、優れたかつ極めて痛烈な批評を読んだことがあった。筆者は明らかに、競馬について明るい人物であった。その批評の中で筆者は、私が物語に書いたようなことをしたら、全ての関係者が受けるであろう処罰に就いて、詳しく述べていた。関係者の半分は刑務所行きとなり、残りの半分は競馬界から永久追放されるだろう、と言うのである。

というわけで、確かに現代の日本の競馬ファンである私が読んでみても、競馬のルール的にはかなりおかしなところが見受けられる。しかし、大体において欧米の競馬界は良い意味でルーズなところがある気もするし、ましてや19世紀末あたりだったらこの程度のいい加減さも許されたかもな…とも思える。
まあ同時代の競馬記者がイチャモンをつけているのだから、ありえない話だったのだろうが。


何を題材にするにしても、小説世界に現実世界のルールをどこまで厳密に持ち込むか…という点は必ず問題になってくる。
「お話として面白ければそれでいいじゃん」という気もしつつ、小さな事実を積み上げて真理に到達するのが醍醐味の探偵小説なんかでは、ファジーさは許されないのも分かる。