『恋と伯爵と大正デモクラシー 有馬頼寧日記1919』

恋と伯爵と大正デモクラシー 有馬頼寧日記1919
有馬記念」といえば競馬を知らない人でも名前くらいは聞いたことがある年末の大レースだが、その「有馬」というのは何かというと、日本中央競馬会の第2代理事長を務めた有馬頼寧(ありま・よりやす)氏から取られている…というのは意外と知られていない。
プロ野球チームのオーナーもやっていた氏が、「競馬にも野球のオールスターゲームのようなレースを作ろう」と提唱して年末にファン投票で出走馬を決める「中山グランプリ」というレースを創設し、成功を収めた。ところが有馬頼寧はその翌年に72歳で亡くなってしまったので、その栄誉を称えてグランプリのレース名は「有馬記念」に変えられたのだ。
と、ここまでは私も知っていたのだが、実際に有馬頼寧という人がどういう人物だったのか、ほとんど知らなかった。
本書はそんな有馬頼寧の、生い立ちから壮年時代までを「不倫の恋」を軸に追った評伝。


この本を読んで初めて知ったのだが、有馬頼寧は華族でありながら農民・部落解放運動に携わったり、貧しい人のための夜学校を作ったり、かと思うと近衛内閣の時に(不本意ながら?)大政翼賛会の事務長におさまり、戦後はそれを責められGHQによりA級戦犯とされ巣鴨プリズンに収監されていたという。日本中央競馬会の理事長になるのはその後のことだから、なんと波乱万丈な人生だろう。
その有馬頼寧には若い頃から晩年まで克明に生活を記した日記が残されていて、この本の筆者の山本一生氏はその「有馬頼寧日記」の編纂・刊行作業に当たっているらしい。日記を追っていくうちに筆者は、この波乱万丈な生涯に大正デモクラシーの別の側面(つまり華族の側からの視点)を見出したそうで、本書はそのうち有馬頼寧の不倫愛を軸にして、数々のエピソードを紹介している。華族もいろいろ苦労があったのだというのが分かって、非常に興味深かった。


ちなみに「頼寧」を「よりやす」と読める人は当時から少なかったらしく、音読みで「ライネー」というのが愛称になっていた氏だが、あるとき誰かに「ライネーではなくタヨリネーだ」と揶揄された…という話を、本人が自嘲気味に述べていたそうだ。
そして最晩年に日本中央競馬会の理事長になったときも、時の農水大臣から記者会見で「(次期競馬会理事長には)“馬”を連れてきた」と発表されたこともあるそうで*1、その際も「タヨリネーを連れてきたと言われるよりは良かった」とごちていたとか。
良い意味でも悪い意味でも、育ちのよいお坊ちゃま(殿様?)気質の方だったのだろう。

*1:近衛内閣の農林大臣や大政翼賛会事務長も務めていた有馬頼寧は、当時は「“馬”を連れてきた」と言われれば記者連中がピンと来るくらいの存在だった。