『ゲゲゲの女房』

ゲゲゲの女房
私が(下世話な)読書好きであることを知っている職場の先輩から、「こんなの読んでみる?」と言われて貸してもらった本。水木しげる先生の奥様・布枝さんが書いた自伝エッセイ。
一昨年までは水木先生の現住所である調布の近くに、昨年は水木先生の故郷である境港の近くに住んでいたこともあり、浅からぬ因縁を勝手に感じている私は、鳥取在住時には図書館の「郷土の作家」コーナーでその著作を借りまくったり、境港で毎年行われている「妖怪検定」にチャレンジしてみようと、妖怪大辞典を買って勉強したりしていたことがある(結局受けることができなかった)。
まあ、その程度のにわか水木ファンではあるが、一応水木さんの半生についてはサラリと予習ができており、その上で「奥様の目線」で語られる結婚生活が新鮮で面白かった。
境港とは中海を挟んで反対側にある島根県安来(「どじょうすくい」の安来節で有名な土地)で生れた布枝さんは、「貸本マンガを月に一冊描いていて、それが一冊で三万円になり、その上、戦争で片腕を失ったので、その恩給まである」という触れ込みの男(後の水木しげる)とお見合結婚をしすぐに上京。しかし実際には赤貧の生活で、やがて子供が生まれ将来に大いなる不安を抱きつつ、独特の感性とたくましさを持った夫に驚かされながら何とか糊口をしのいでいく。その後「墓場鬼太郎ゲゲゲの鬼太郎)」をはじめとするヒット作に恵まれ、まあいろいろあったものの、老境のいまとなって夫婦でふるさとの境港や安来をゆっくりと訪れ来し方を振り返る…というところで筆が置かれる。
物凄く急だった結婚の話や貸本時代の苦労話、お子さんが小さい頃の赤貧生活については、水木さんの著書でも何度か読んだことがあったけれど、それを支えていた奥様ならではの思い出話が印象的。

 精魂こめてマンガを描き続ける水木の後ろ姿に、私は正直、感動しました。これほど集中してひとつのことに打ち込む人間を、私はそれまでに見たことがありませんでした。
 以来、ひたすらカリカリと音を立てて描く後ろ姿から、目を離せなくなることが、しばしばありました。背中から立ち上る不思議な空気、いまの言葉でいうならオーラみたいなものに、吸い寄せられるような感じがすることさえありました。私は次第に、その姿に尊敬の念を抱くほどになっていったのです。
 私はマンガの良し悪しはよくわかりませんが、マンガにかける水木の強い思いに、心打たれたのです。一生懸命に書いている水木の後ろ姿を見ていると、絵が気持ち悪いとか、話が怖すぎるとか、思ってはいけない、口にしてはいけないと感じました。

昔ながらの「半歩控える」ような夫婦の姿は、現代から見るといろいろ賛否両論があるだろうが、そのような夫婦の姿ができるまでの紆余曲折を考えると、一概にジェンダーがどうのこうのと言えなくなる。

 なぜ、水木と結婚したのかと聞かれれば、いろいろと理由はあるけれど、つまるところ「私には水木と結婚する以外に道がないと思ったから」というのが本当のところです。恋愛に価値があると思っておられる方々には、これ以上の不運はないと思われるかもしれません。
 でも、私の実感では、最初に燃え上がった恋愛感情だけで、その後の人生すべてが幸福になるとは、とても思えません。伴侶とともに歩んでいく過程で、お互いが「信頼関係」を築いていけるかどうかにこそ、すべてかかっていると思うのです。私は、どんなに苦しいときでも、水木と別れたいとは思いませんでした。
 どんな生き方を選んだとしても、最初から最後まで順風満帆の人生なんてあり得ないのではないでしょうか。人生は入り口で決まるのではなく、選んだ道で「どう生きていくか」なんだろうと、私は思います。

…このあたりの結婚観あるいは人生観は、戦前生まれならではと片付けてしまうのは簡単だし、個人差もあるのだろうが、昨今の風潮に冷や水を浴びせるようでもある。