「ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団〜はばたけ 天使たち〜」

度々言及しているが、ここ半年ほどの我が家の子供たち、なかんづく長男のドラえもん熱には呆れるばかりである。
もともと私自身がドラの熱心なファンで、てんとうむしコミックスは全巻、大長編もほぼ全巻を揃えているし、昔から「人生で大事なことは『ドラえもん』と『まんが道』と『島耕作』と『美味しんぼ』で全て学んだ」と公言してはばからないくらいなのだが、やはりカエルの子はカエルということだろうか。
ということで、満を持して愛息愛娘の2人を連れて、ドラ映画を見に行った。もちろん、事前に家で旧作を見て予習を済ませた上で、である。いや〜、ついに自分も子供とドラ映画か…相当感慨深い。


さて本作「鉄人兵団」は、宇宙のどこかにあるロボットたちだけの星から、鉄人兵団が地球侵略にやって来るという話である。
この物語の最大のトートロジーは、「ドラえもん自身がロボットである」ということ。いわば敵側に同情的でもおかしくない存在のドラえもんなのだが、マンガではそんな葛藤はつゆほども見せず、いつもの調子でのび太たちと敵に立ち向かうのである。人間が善と言い切れるのか、ロボットは本当に悪なのか? …そのあたり、あまりに無批判に話が進むので、私は自分が子供の頃から違和感を感じていた。
ところが「新・鉄人兵団」では、その辺の矛盾について冒頭でごくごくサラリとかわす描写が新たに加えられていて、そこは感心させられた。
冷静に考えると、ザンダクロス(巨大ロボット)をあやつる道具「サイコントローラー」は「心で機械を操る」道具だが、それをドラえもんも使うことができるということは、ドラえもんは「心を持っている」ということになるのではないか。あまつさえ映画の中のドラえもんは、どんな合金でできているのか分からないくらいモチモチと柔らかく伸び縮みする表面を持ち、歯ぐきまで備えた、ロボットというよりも擬似生命体とでも言うべき質感なのである。


物語とは関係ないが、鏡の世界でのび太たちが「マンガも立ち読みし放題!」といって本屋で夢中になって開くマンガは、なんとフニャコフニャ夫先生の「オシシ仮面」なのだ!! …といってピンとこない方は、てんとうむしコミックス第3巻を参照のこと。
こういう細かいネタひとつ取っても、今回のリメイク版スタッフの意気込みがとてもよく伝わってくる。感心して見ていた。