「うちらの年齢じゃ分からないんですよ全然」

NHK教育ETV特集で、「ケータイ小説@2007.jp 〜藤原新也・若者たちへのまなざし〜」という番組をやっていたのを見た。ケータイ小説というものに共感を持てないまでも少なからず興味があって、先日『Deep Love』を読んだ*1くらいなので。
同じように「何故この小説が若者の心をひきつけるのか?」に興味を覚えた写真家の藤原新也氏(本になったほとんどのケータイ小説を読んだそうだ)が、ケータイ小説の作者や熱心な読者を尋ね、その理由を探るべくインタビューをする…という内容だった。


その答えは一時間の番組内ではとても出し尽くされていなかったと思うが、キーワードはどうやら「若者たちの身の丈にあった」、「本音の言葉」というところにありそうだった。
番組内でケータイ小説の熱心な読者の代表としてインタビューを受けていた、高校2年生の女の子のちょっと衝撃的な言葉。

「大人が書くような小説は、うちらの年じゃ分からないんですよ全然、難しい言葉とか、なんか、ほんと意味分かんなくて、見たくないんですけど、ケータイ小説を書く人は、なんか同じ目線で書いてたりして、一番近い感じがしますね。Chakoさん*2の書く話が、自分の考えとか、生活もそうなんですけど、分かることが多いです。」

「うちらの年じゃ」って…、17歳にもなって何を言っているのか、それこそ意味が分からなかった。


若い少年少女(中高生)の主人公が、ちょっとした挫折を味わって(受験の失敗とか)、世の中や大人に不信感を持つようになる中で、唯一人生観を共有しあえる相手(大概は異性)と出会い、心を開いていくのだが、そこへ無常にも悲劇が襲い掛かり(その相手が病気や事故で死ぬパターンが多い)、初めてその存在の大きさに気付かされるが、それを伝える相手がもう目の前にはいない…そんなストーリーがほとんどのケータイ恋愛小説。
浅い。とにかく全てが浅〜い世界での出来事。こんなのみんなが喜ぶ最大公約数のプロットをきちんとマーケティングすれば、誰にでも書けるお話ではないか。
オリジナリティやイマジネーションはどこへ行ってしまったのだろうか?*3

*1:11月4日の日記参照。

*2:160万部売れた『天使がくれたもの』というケータイ小説の作者。

*3:ある意味で「ハリウッド的」ではある。