『JAZZ TALK JAZZ 証言で語るモダン・ジャズの真実』

JAZZ TALK JAZZ
最近ジャズの歴史や、そもそもジャズとは何なのか…といったことに興味が沸いてきて、何か良い本はないかと探して見つけたのが本書。
筆者の小川隆夫氏は、医者でありながら趣味のジャズ好きが高じてニューヨークの大学院に留学し、勉強の合間を縫ってジャズクラブに通いまくり、ウィントン・マルサリスをはじめ一流のジャズメンたちと交流を深めたという変り種。帰国後は当時作った人脈を活かし、来日するジャズアーティストのコーディネイトやプロモートを手伝う傍ら、ジャズ雑誌のために数々のインタビューを行っていたそうで、本書はそれらの賜物ともいえる、現場の生々しい証言を元にジャズの歴史を語った意欲作。
ビバップの誕生から始まるモダン・ジャズの夜明けから、ハード・バップ、クール・ジャズ、モード・ジャズ(新主流派)、フリー・ジャズ、ジャズ・ロック、フュージョン、そしてクラブ・ジャズ(アシッド・ジャズ)、伝統回帰…という、いわゆるジャズの教科書的な流れをきちんと押さえつつ、「実はその現場ではこうだった」とか「通説とは違って実際はこんなだった」という裏話をふんだんに挟み、なかなか興味深い内容となっていた。
たとえば多くのプレイヤーたちがフュージョンに流れたのは、ジャズクラブという小さなハコで少人数の観客を相手にするよりも、レコードなどでより多くの聴衆を得て利益を上げられるという経済的理由からだった…とか、クラブ・ジャズの黎明期にブルーノートレーベルが果たした役割とか。
そんな中で、ハービー・ハンコックの以下のような発言などは、まさに「ジャズとは何なのか」を的確に捉えた至言だと思う。

「ジャズは生きもののように刻々と成長している音楽なんだよ。メロディもハーモニーもビートも、次から次へと新しいものが生まれてくる。三年経ったらその音楽は古いものになってしまう。しかし、古いからって悪いってことにはならない。なぜかと言えば、底辺にジャズの伝統が流れているからだ。ビバップは古いスタイルではあるけれど、新しいジャズでもあり得る。…」

ジャズの底辺に流れるもの、それは黒人霊歌や労働歌、ブルース、ラグタイム、ゴスペル、その他諸々の黒人が新大陸に持ち込んだ独特の文化・感覚だと言われている。そしてそれは、良くも悪くも奴隷制や人種差別の影響を受けており、だからこそ型破りで、陽気で、悲哀があって、何よりも自由であろうとする意志を感じる音楽なのだろう。
(そして現代のジャズが輝きを失っているとしたら、その意志が弱くなっている…ということかもしれない)
もう一つ、アシッド・ジャズの火付け役の一人、ロンドンのDJポール・ブラッドショウのコメント。

「ジャズは行ったり来たりしながら少しずつ変化を遂げている。ぼくたちがやっていることは一過性のブームかもしれない。しかし、それが次のステップへの布石にならないとも限らない。」


ところで、こんなことを書くと本書をまるまる否定するようでアレなのだが…。
ある事象の歴史を語るときに、一次資料としてインタビューを使うというのは、実は結構危ういやり方だと思う。必ずしも当事者が自らの行為を正当かつ分析的に見ているとは限らないからだ。それに何より、ドキュメンタリーの手法としてインタビューに頼るというのは安易に過ぎる、とも思う。
だから本書についても、確かにマルサリスやマイルス、ディジー・ガレスピーハービー・ハンコックなど錚々たるメンバーからフランクな言葉を引き出しているのは、筆者のキャリアならではの功績だと思うのだが、そこで聞かれた証言が全て正解というわけではないだろう。肝心なのは、それらをどう解釈するかなのだ。
本書が借り物の言葉の羅列とならずに済んだのは、インタビューの合間に筆者自身の個人体験を随所に散りばめたからこそ、だと思う。