『数奇の革命 利休と織部の死』

数奇の革命―利休と織部の死
茶の湯の起こりから完成までを、「数奇(すき=数寄)」というキーワードで読み解いた意欲作。
何故戦国大名茶の湯に凝ったのか、何故茶の湯を大成した千利休古田織部切腹に追い込まれたのか、何故江戸時代に茶の湯は形式主義に陥っていったのか…といった疑問に、初めて納得できる説明を聞いた気になった。
筆者によればそもそも茶の湯には、利休が「大事なし」と述べているように決まった作法や手順というものがなかったという。戦国時代の茶の湯に求められていたものは「数奇」、つまり既存の常識を覆す風狂の心であり、極端に言うと釜を立てるたびにそれまでのやり方を革新していくという、なんともストロングスタイルなものだったとか。
その極みに達したのが利休であり織部であったわけだが、革新の時代には政治にこれを利用した為政者たちも、ひとたび乱世が終わると「革命家」をそのままのさばらせておくわけにいかなくなったがために、死に追い込んだ…というのが筆者の説。


あとこれが事実かどうかは別として、茶室が「市井の山居」の趣きを持つに至った理由(堺の近くには本当の山がなかったから街中に山居を模して作った)とか、茶の湯と禅が結びついた理由(他人の模倣より個人の資質が求められる「数奇の茶」では自我の研鑽を図る必要があり、その手段として当時堺に支寺の開かれた大徳寺の禅が導入された)とか、茶の湯の起こりにさかのぼっていろいろな事情が説明されていたのは、目からウロコだった。
とにかく本書を一読すると、茶の世界に「これが必定」と決まった型は無いのだと気付かされ、今後は自由な気構えで愉しんでいけるような気になった。