『茶道と天下統一』

茶道と天下統一
図書館でたまたま見かけて、「外国人の筆者が『茶道と天下統一』?」と気になり借りてきた本。どうせオリエンタリズムの眼鏡で見たヘンテコ評論だろうと高をくくって読み始めたら、これが大間違い。これまでに読んだどの茶道関連本よりもわかりやすくて納得がいく茶道論だったのだ!
ちなみに筆者のヘルベルト・プルチョウ氏はとんでもないタレントでした。スイスに生まれ、イギリス、スペイン、フランス、アメリカで学び、パリ大学でロシア語、中国語、日本語を習得、のち文部省の国費留学生として来日。早稲田大学大学院で日本文学とロシア文学の比較研究をテーマに修了、コロンビア大学ではドナルド・キーン教授(当時)のもとで博士号(日本中世文学)を取得、カリフォルニア大学で教授として日本学を教えていた、いわゆる天才。


もともと私がお茶の世界に興味を持った理由として、「どうして明日をも知れない戦国武将たちが、揃いも揃ってお茶にハマり、チマチマとした茶器を愛玩したりしていたのか?」という疑問があった。それも本書を読んでようやく腑に落ちた気になった。
そして、茶の世界に関わる人間にとって最大にして永遠の謎である「何故利休は切腹をしなければならなかったのか」というテーゼにも、古今の代表的な説を紹介しつつ、最後には筆者なりの回答を提示していた。
二つの問いに共通する答えとして、筆者は室町時代における権力構造の変化という側面を強調する。その変化のなかで、茶の湯は「国家儀礼」として広まっていったというのが、筆者の説の大要だ。

 人間の平等を強調する利休の「侘び」もしくは「侘び茶」は、信長や秀吉が天下統一を目指して先頭に明け暮れている過程では、強力な手段として役立っていたが、天下統一が成ったあと、秀吉が厳重に社会階層を定め、それを保守することによって国を安定させようとした。つまり、利休の「侘び」は、戦国時代にこそふさわしく、国家統一の新時代には、その平等精神は時代遅れのものになりつつあったのである。

…儀礼にはもう一つの性質がみられる。それは、儀礼の規則、しきたりを破ることは政治的革新、革命を意味する、ということだ。フランス革命の最中新しい暦が導入されたことも「革命」を意味し、以前の政権や年中行事とのつながりを断ち切ることにあたる。明治維新後の日本でも、新政府によって、太陽暦が導入された。
 逆にいえば権力者集団は、その権力を維持するため、いかなる儀礼であっても、すでに厳しく定めている行動様式や伝統に人を従わせるため、その変化を極力抑圧しようと努めたのである。

時代の変革期に生まれた芸術が次の権力者(やその候補)たちに取り込まれオルタナティブな儀礼として利用されていく。前の権力者が庇護していた芸術は、変形して生き残るか、今様や田楽のように姿を消すか。

 要するに、文化的革新や新しい宗教の興隆は、国家が安定している時代ではなく時代と時代の境目に起こりやすいことが、日本の歴史をみるとはっきりする。
 宗教改革運動および芸術的変化を含め、儀礼の変化の多くはまさに政治の転換期に起こる。実際、奈良から平安、平安から鎌倉、鎌倉から室町、室町から安土桃山、安土桃山から江戸、江戸から明治へと政治の転換期にはかならず儀礼文化の変化がもたらされている。茶道も千号時代から出発して今まで何回も変化し、その形と作法を変えてきた。多くの転換期を経て今の形をとったのである。

人形浄瑠璃の成り立ちは明るくないが、まさに権力構造が変わろうとしている今、文楽が存続の危機(?)に立たされているのは、歴史的には当然ともいえる。ではどうするか?自ら姿を変えて変革者に寄り添うか、衰退・消滅するかの二択しかない。
個人的には文楽の問題は、芸能としての側面より、上方オリジナルにしてユニークなコンテンツであるという言い方で説明していったほうが、存続の賛同を得やすいと思う。