『茶の湯事件簿』
戦国時代から明治・大正・昭和までの「数寄者(すきしゃ)」の列伝。
とても面白かったので、個人的なメモもかねて紹介されている人物を列記しておく。
- 松永弾正(久秀) 信長に攻められて大名物「平蜘蛛の釜」とともに爆死して果てた戦国武将
- 織田信長 明智光秀に襲われたその夜は本能寺で茶会を開いていた
- 今井宗久 武野紹鴎の娘婿で利休、津田宗及とともに「天下三宗匠」と称された
- 荒木道薫(村重) 信長に城を攻められたとき配下や家族を捨てて茶壷と小鼓を抱えて逃げた利休七哲の一人
- 豊臣秀吉 身分の貴賎を問わず茶の湯好きを集めて北野大茶会を開いた
- 千利休 茶の湯の美を追及しつくした侘びの発見者
- 山上宗二 孤高を貫き秀吉の怒りを買った茶人
- 丿貫(へちかん) 山科に隠棲していた奇行の茶人
- 島井宗室 客として招かれた本能寺で明智光秀襲来の混乱に乗じ信長の掛け軸を盗んで逃げた
- 織田有楽 黒子に徹して豊臣・徳川の世まで生き抜いた信長の実弟
- 徳川家康 茶の湯を「人を動かす道具」とみていた合理主義者
- 江月宗玩 天下三宗匠の一人津田宗及の息子でその茶道具を後世に伝えた禅僧
- 古田織部 武家風の茶の湯を創造した利休の反動的後継者
- 金森宗和 「姫宗和」と呼ばれる優美な宗和流の創始者
- 小堀遠州 利休・織部から受け継いだ茶の湯を太平の世に合うものに変え建築や作庭にも腕を揮った「綺麗さび」の大名茶人
- 千宗旦 利休の孫で自らは巷間に生き清貧を貫きながら息子たちには仕官させ後の三千家の祖とならせた
- 冬木屋 数々の大名物を蒐集した江戸の材木商
- 大石内蔵助 吉良上野介が江戸屋敷から去る名残の茶会が開かれた晩を狙って討ち入りを果たした
- 松平乗邑(のりさと) 享保の改革後水野忠邦に代わって吉宗に引き立てられた数寄大名
- 川上不白 「七事式」と呼ばれる茶事を発案し江戸で千家を広めた
- 松平不昧 藩政を立て直し芸術に没頭した松江の数寄大名
- 井伊直弼 大老として辣腕を揮う陰でいくつもの茶の湯の書を残した
- 山田寅次郎 トルコに茶の湯を広めた宗偏流八世宗家
- 益田鈍翁 財力に物を言わせて茶道具を集めた明治財界の大立者
- 松永耳庵 日本に電力会社を興した数寄者
こうして見てくると、茶の湯はその始まりから近代に至るまで、常に政治や経済の最前線にあったことがわかる。現在ではそんな様子はすっかりなくなってしまったけれど。