『馬敗れて草原あり』

馬敗れて草原あり (角川文庫)
競馬ヅケ第4弾。寺山修司・著。
以前この本を読んだとき*1も思ったことだが、寺山修司が競馬について書いた文章を読むと、現代にこんなエッセイを書く競馬ジャーナリストがいないことを非常に残念に思う。単なるレースの予想でも回顧でもない、競馬のレースに舞台を借りた一幕の戯作のような、虚実ない交ぜのエッセイ。そこには冷静な成績・調教・血統などの分析は一切なく、寺山がサラブレッドに無名の人々の人生を重ねとことん感情移入しまくって、いくつもの抒情詩を紡ぎだしていく。

 なぜ、追込み馬が好きなのかということは、彼らの人生と考えあわせてみると、よくわかる。早いうちに、(つまり人生の第一コーナーあたりで)挫折してしまった連中にとては、もはやハナに立って逃げることは不可能なことだからである。…(中略)…小学時代はガキ大将で成績不良、中学時代には鶴田浩二にあこがれて、小便臭い映画館に入りびたり、上京して受験して落第か、あるいは集団就職のびりっこで、家も貧しく、沈む夕陽を見ながら、「このままドンジリで一生を終わりたくない」と思い、つい出来心から万引きして拘置所入り、それでもまだ希望だけは持っていて、三十代すぎてから、人生の直線を一気に追いあげて名を成そうとする連中にとっては「追込む」ほかに生きるみちが残されていないからなのである。
(「私の競馬ノート」より)

ジョルジュ・バタイユからノーマン・メイラーヘミングウェイドストエフスキーまで数々の警句を引用して寺山が語るのは、徹底して敗者の物語だ。「負け組」などという言葉でくくって終わりにはしない、悲哀と同時に地に足の着いたしぶとさがそこにはある。


寺山には馬の図案の切手を収集する趣味があったそうだ。それについて書いた次のような文章がある。

 一人の女がいた。新宿の裏通りの小さな酒場で働いていた。私はそこで飲んで、閉店近くになると外に出て、外套の襟を立てて待っていた。そして待ちあわせて、私のアパートへ一緒に帰って行った。
 私たちはお互いの身の上話もせずに、一年足らず一緒に暮していたが、彼女はある夜突然、帰って来なかったのである。まったく置手紙もなく、理由もつかぬ「失踪」であった。
 思い出せばその女には、泣きぼくろがあった。
 北海道の生まれで、塩辛が好きな女であった。
 二年ほどしてから、ひょっこり一通の手紙が来て、実は自分にはかくし子があって、その子が病気になったので故郷へ帰ったのだという詫言が書いてあった。私はその手紙を二度読んで、うそだと見破った。手紙は北海道ではなくて、宮崎の消印だったからである。
 だが、私はその宮崎の消印の切手を水に沈めてきれいにはがして保存した。それは競馬法制定記念の、茶色い五円切手であった。
(「さすらいの切手」より)

…こんなエピソードを前に、書かれた内容が真実か虚構か忖度するのは野暮というものだろう。


自分の賭けの勝敗がどうであれ、こういう文章で毎週のレースを待ちわび振り返ることができた同時代のロマン派の競馬ファンたちは、さぞかし幸せだったろうな。

 「人はなぜ競馬に熱中するのか?」──それには、あらゆる分析を上まわる一つの明快な解答がある。少なくとも私の場合。
 私は、競馬が好きなのである。
(「一時代一レース」より)