あの人に会いたい・三島由紀夫

家のHDDレコーダーで「三島由紀夫」というキーワードで勝手に番組を録画するようにしてあるのだが、CSのヒストリーチャンネル(無料放送中だった)でやっていた「あの人に会いたい」の三島由紀夫の回が思いがけず拾われていた。
ちなみに「あの人に会いたい」というのはNHK教育で週一回放送している番組だが、ヒストリーチャンネルはこんなものまで放送しているのか…。
番組は三島由紀夫へのインタビューをつらつらと流していたが、終戦を迎えたときの感想をこんなふうに述べているのが気になった。

(現在)昭和40年ちょうど41歳の私は、20歳のときに迎えた終戦を自分の人生のめどとして、そこから自分の人生がどういう展開をしたか考える一つのめどになっています。
これからも何度も何度もあの8月15日の夏の木々を照らしていた激しい日光、その時点を境に一つも変わらなかった日光は、私の心の中に続いていくだろうと思います。

これは三島由紀夫の遺作である『豊饒の海』第四巻『天人五衰』のラスト、有名などんでん返しのあとで四部作の狂言回しを演じた本多が呆然としながら眺めた庭を描写した、最後の最後の文章を連想させる言葉だなあ…と思っていたら、この番組でも同じことを言っていた。
その文章とはこうだ。三島由紀夫はこれを書き終えて、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に向かった。

 これと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……

三島由紀夫という人は、終戦のときに精神的に一度死んでしまった人なのだと、改めて思った。