『豊饒の海(一) 春の雪』
長らく続けてきた私の「三島漬け」の〆として、『豊饒の海・四部作』に取り掛かった。
この『豊饒の海』は、「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の4作からなる超大作だが、三島由紀夫は「天人五衰」の幕切れの原稿を書き残して、切腹自殺をした。つまりこの四部作こそが三島作品の文字通り集大成ということになる。
その第一巻「春の雪」の最後に記された筆者自身の言葉によると、
『豊饒の海』は『浜松中納言物語』*1を典拠とした夢と転生(てんしょう)の物語であり、因(ちな)みにその題名は、月の海のひとつのラテン語名なる Mare Foecunditatis *2の邦訳である。
ということで、「豊饒」とは名ばかりの砂と岩だらけの月面の地名を題に持ってきたところが皮肉のようでもあり、またその真空・無風状態の静謐な情景が三島作品に見られる「精巧な箱庭感」を醸しているようでもある。
主人公・清顕が幼馴染みの聡子を意識しはじめるくだりなどは、『仮面の告白』や『私の遍歴時代』で語られている、三島自身の幼い頃の思い出のモチーフが再度使われているようだ。
それ以外にも、これまでの三島作品でたびたび使われているモチーフ(厳粛な祖母、級友との友情、上流階級の人々の描き方、…等々)が散見され、そういう意味でもこの作品は集大成だと言えるのかもしれない。
第一巻「春の雪」の最大の見所は、清顕が級友の本多や留学中のタイ王国(シャム)の王子たちとともに、夏休みに鎌倉の別荘へ行く章だろう。
この、清顕の生涯で最も輝いていた日々の描写が、本当にすばらしい。これまで読んだ三島作品の中で、最高の情景だと思う。
作中、三島由紀夫の歴史観が垣間見られる、本多と清顕のこんな問答が出てくる。本多は清顕に、「歴史は一個人の意志とは無関係なもの」と独特の考え方を語る。
「…(略)俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志どおりに歴史をねじ曲げようと努力する。又、そうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は思うままの枝ぶりになってくれるとは限らないんだ。
百年、二百年、あるいは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、意志どおりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとおりの形をとるかもしれない。俺の目が美しいと思うかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、俺の意志を嘲るかのように。
それが歴史というものだ、と人は言うだろう。」
(中略)
「そしてそのとき」と本多は言葉をつづけた。「百年後に俺の思うままの形を歴史がとったとして、貴様はそれを何かの『成就』と呼ぶかい?」
「それは成就にはちがいないだろう」
「では誰の?」
「貴様の意志の」
「冗談じゃない。俺はそのときもう死んでいる。さっきも言ったろう。それは俺とはもう全く関係なしにできたことだ。」
「それなら歴史の意志の成就だと思えないかい?」
「歴史に意志があるかね。歴史の擬人化はいつも危険だよ。俺が思うには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く関係がない。だから何の意志からも生れ出たわけではないそういう結果は、決して『成就』とは言えないんだ。それが証拠に、歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩壊しはじめる。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは同じ意味をしか持たないかのようだ。 (後略)
歴史の大きなうねりの前に、一個人の意志は無意味なもの。そしてそこにはあらゆる「偶然」は存在しなくなる。すべては必然になる。輪廻転生でさえも。
本筋とは全く関係ないが、清顕の家で開かれた観桜会の晩餐の献立が、律儀に最初のお椀からデザートまで列挙されている場面があったが、大正時代の献立の表現が面白いと思った。
大正二年四月六日観桜会晩餐
*
一 羹汁 鼈極製浮身入
一 羹汁 鶏肉細末製
一 魚肉 鱒白葡萄酒煮牛乳製掛汁
一 獣肉 牛背肉蒸煮洋菌製
一 鳥肉 鶉洋菌詰蒸焼形入製
一 獣肉 羊背肉焙焼セロリ製添ル
一 鳥肉 雁肝冷製寄物
製酒 松林檎入氷酒
一 鳥肉 暹羅鶏洋菌詰蒸焼
サラト紙函入製
一 蔬菜 松葉独活
牛酪製
鞘隠元豆
一 製菓 牛乳油製冷菓
一 製菓 二種合氷菓
雑菓
このうち「雁肝」はフォアグラ、「松林檎」は字のとおりパイナップル、「暹羅鶏」はシャモ、「松葉独活」はアスパラガス、「冷菓」はババロア…と、それぞれルビが振ってあった。あと調べたら「洋菌」はキノコ(マッシュルーム?)のことらしい。
*1:『更級日記』を書いた菅原孝標の女(むすめ)が作者と言われる、予知夢や輪廻転生を軸とした物語文学。
*2:通常は「豊かの海」と訳されるようです。豊かの海 - Wikipedia