『対局する言葉―羽生+ジョイス』

対局する言葉―羽生+ジョイス (河出文庫)
柳瀬尚紀氏と羽生善治名人の対談。柳瀬氏自身が将棋指しで、羽生氏の熱烈なファンであることから実現したもの。
基本的には柳瀬氏が独自の言語観を語るなかで、羽生氏の「天才」の秘密を解き明かしていこうとしているのだが、もうほとんど「信奉者」と言っていいほどの傾倒ぶりなので、おのずと柳瀬氏の発言も、なんだか羽生氏に気を使ったものになる。それに対し「天才」羽生氏は割と冷静に返す感じ。
そのため、ところどころで会話がチグハグになっている感は否めない。大好きな異性と急にデートすることになって、もう何を話したらいいのかわからない状態…に近いかも。

羽生 将棋もそうですね。一年中、二十四時間ずうっとひたすら将棋を指し続けるわけではないですから。必ずしも実生活の経験が全く無縁とは言えないとは思うんです。ただ、いままではあまりにも精神論的なものが強かったと思うんです。日本はなんでもそういうのがあるので……。そういう精神論はあまり好きじゃないんですよ。(中略)あまりにも精神的なものに傾き過ぎているんじゃないかな、という気はしてるんです。
柳瀬 はいはいはいはい。『フィネガンズ・ウェイク』なんだな、やっぱり。日本はさておいて世界レベルの話をしますと、例えば小説というものにはストーリーがなければだめである、というふうな文法があったわけですよ、ずうっと。(中略)ところがこれはもう本当に、相当に時代後れな話なんです。(中略)それでジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』は、少なくともこの人物はだれで、例えばどんな会社に勤めていて、どういう女房がいてとか……、それすらもない。
羽生 それすらもない(笑)。
柳瀬 ない。で、なにがあるかというと、言葉があるんですね。言葉しかないんですよ。(中略)例えば極端に言えば、いったいジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』でなにを言おうとしているんだろうという問いかけも、「あんたなに、もうそんな時代後れなこと言わないでくれ」というぐらいに否定される。ただここに言葉があって、ひたすら言葉がいつまでもある、という世界なんですよね。
羽生 はい。でもそれはすごい。
柳瀬 そうしますと、言葉が無限に組み合わさって──そこで語呂合わせの重要さとか、掛け言葉の重要さが出てくるんですが──、ある言葉がそこに置かれることによって、その言葉がある言葉を拉致してきて勝手にストーリーをつくっていくわけなんですね。(後略)
羽生 じゃあ、なにかこう、細胞っていうか、なにか複雑な組み合わせみたいな……。あるいは原子とか分子とかの組み合わせみたいな、そういう感じの世界なんですか?
柳瀬 ええ、まさしく。しかし、それは将棋の手もそうではないんですか。盤上に指されない手、全部羽生頭脳のなかでこう組み合わさって。
羽生 いや、ただ私は、必ずしもいつもいつもすべて明瞭な結論を得て指し進めているわけではないんです。

このやりとりで見られるように、結局柳瀬氏は、「羽生頭脳」の凄さの秘密は、既存の棋譜や定石をインプットした上で、さらにそれらの持つ「コード(常識)」にとらわれないところにあると読み解いたようだ。そこが、ジョイスらが試みた現代文学のコード解体に通じるところがある、という方向に持って行きたかったようだが…。