『はじめての部落問題』

はじめての部落問題 (文春新書)
誤解を恐れずに書くと、興味本位で購入。一度ちゃんとそれなりの本を読んでおきたかったテーマなので。類書のなかで本書を選んだのは、最近出た本だったためと、いわゆる通史的な話や差別の話だけで終始するような本ではなかったから。暗い話の羅列だと、滅入るだけなので。


私の育った石川県は、「政府統計で同和地区がないとされている県」だそうだ(本書で初めて知った)。そのせいか、いわゆる「同和教育」なるものを受けた記憶が無い。
その後大阪の大学に進学し、選択講義の一覧表(シラバス)に「同和問題」というタイトルを見つけたとき、それが何の話なのか分からなかったほどだ。関西出身の友人に「これなに?」と聞いて、変な顔をされたのを覚えている。
ちなみに本書の著者である角岡伸彦氏は、まさに私の在学中に、私の母校で「部落問題論」の講義を非常勤講師としてされていたのだとか(本書で知った)。


筆者は「なぜ差別は良くないのか」という理由を述べるにあたり、まず次の2つを挙げている。

  • 世の中にはいろんな人がいる。
  • どんな理由をつけても人を殺してはならない。

「木」にたとえると、これが「根っこ」の部分。そこから幹が伸びて枝葉に分かれるのだが、その「枝葉」の一つ一つに、たとえば人種差別や性差別、そして部落差別などの諸問題があるのだというイメージ。
「人類皆兄弟」的な理想論ではなく、マイノリティをあるがままに受け入れるべきだという話をしている…のだと理解した。
そういう意味では、本書はなにも同和問題だけについて書いているわけではなく、「多様性の認否」について考えさせられる本だったと思う。


あと「なるほどな」と思わされたのが、部落差別は戸籍制度がある日本ならではのもの、という話。興信所によれば、戸籍をたどっていけば、部落に住んでいたことがあるかどうか数代さかのぼって調べられるのだそうだ。
ところが欧米諸国では、戸籍はおろか住民票も管理していないので(?)、誰がどこから来てどこに移転したか追跡するのが、非常に困難なのだとか。


本論からするとまさに「枝葉」の部分だったのかもしれないが、本書でもっともスリリングだったエピソードは、野中広務氏と麻生太郎氏とのやりとりを引用した場面だった。
2001年の自民党総裁選の最中、麻生氏が「大勇会」という派閥の会合で、野中氏について部落問題の絡みで「野中というのは総理になれるような人間じゃないんだ」と発言したという問題があったそうだ(本書で知りました)。麻生氏は後にこれを否定している。
そして2003年の自民党三役人事を決める総務会の席で、政調会長に選ばれた麻生氏に対し、野中氏は「この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます」と断って、以下のように激しく叱責したのだとか。

総務大臣*1に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」

…まあこの話や会話の内容も、どこまで真実に基づいているのかは分からない。私は麻生氏にも野中氏にも詳しくないし、この問題が政争の具に使われたきらいも感じられるので、この文章を読んだだけであれこれ言うのは留保しておく。それにしてもスリリングな場面だ。
ちなみにその麻生太郎氏は、この出来事の直後総務大臣に就任。先の内閣改造では外務大臣に任命され、いまや「ポスト小泉」の候補の一人に挙げられているのはご案内のとおり。

*1:総務省同和問題の担当官庁。