『現代パチンコ文化考』

現代パチンコ文化考 (ちくま新書)
筆者の谷岡一郎氏は大阪商業大学の学長で、ギャンブルの研究に関しては大家といえる社会学者。本書は書名こそ「パチンコ」とあるが、パチンコに限らず広くギャンブル一般の文化を考える恰好の入門書となっている。
全体に学者らしいというか、ギャンブルを分析する姿勢が実に明解で分かりやすいと感じた。


本書によれば、マシーンでのギャンブルは何も日本だけのことではなく、アメリカの一般カジノ (地上施設と船上カジノに分かれる)の売上の6割はスロットマシン、ポーカービデオなどの機械類だというが、台数や日常生活空間との距離、つまり接触する機会が、パチンコは比較にならないほど多い。
そんなパチンコを代表するギャンブルに人々がハマる理由として、作者は次のような要因を区分している。

内面的動機
生育環境、家庭家族、職場環境、コミュニティ、サークル
外部的誘因
店による工夫…ハード面(アクセス改善、建物改善、内部改善)
店による工夫…ソフト面(インテリア、音、椅子、付加サービス、景品)
ゲーム自体の面白さ

また、ギャンブルそのもの面白さを次のような要素に分類し、公営ギャンブル、カジノゲーム、パチンコ等々を因数分解のように項に分けて点数付けしていたのが面白いと思った。

ランクA要素
ドキドキ感の持続、攻略感(実力の必要性)、スピード(アクション性)
ランクB要素
ドキドキ感の強さ、(一般的)爆発力、勝利期待度(期待値)、ルールの簡単さ
ランクC要素
対人圧迫感からの自由度、オプションの多様性、主人公感覚、美しさ/上品さ

さらに、パチンコが抱える問題として以下のように列挙している。

送金疑惑問題
在日系経営者が約70%、96年6月8日の産経新聞には「年間6億ドルの送金が行われている」というワシントンポストの記事が紹介されている
脱税問題
96年国税庁調べでバー・クラブについで不正発見割合で第2位
独占・寡占問題
メーカー19社が独占、機械一台あたり100件ともいわれる特許による新規参入の阻害
産業廃棄物問題
電子部品や電飾の多くなってきたパチンコ台の廃棄処理問題
暴力団・犯罪
かつての資金源「景品買い」、みかじめ料、強盗、プリペイドカードの偽造
依存症問題


こうした問題を抱えつつ、なぜ日本で公営競技やパチンコが公然と行われているのか?
賭博は刑法で禁止されているが、公営ギャンブル(競馬、競輪、競艇オートレース)は第35条に認められている「正当行為」である。大相撲の野球賭博問題を引くまでもなく、他では禁止される行為がなぜこれら公営競技に限って認められるのか? これまで「特定産業の保護育成」(たとえば競馬なら馬産をはじめとする畜産振興など)、「地方財政の向上」(中央競馬以外の公営競技の主催者は自治体である)、息抜きを国が用意、などの説明がなされてきたそうだが、決して合理的説明にはなっていない。
かつて美濃部都知事は「ギャンブルは悪い行為であり、そこから得た金を崇高な目的といえど使うのは、鼠小僧と同じことだ」と言ったそうだが、これは一面の真実とも言える。
あまつさえパチンコに至っては、いわゆる「三店方式」(ホール、景品交換所、景品問屋の三者が並立することで、客がパチンコ球を現金化するやり方)は「法の抜け道」でパチンコは刑法で違法とされている常習賭博だと筆者は指摘する。確かに、このパチンコで現金を得るやり方の問題は根深く、警察が換金に関与しているから「事件」として受理されないだけという、限りなく黒に近いグレーというのが実態と言える。


もっとも、ギャンブルには弊害ばかりではなく、ギャンブルの対象であるがゆえにスポーツそのものが公正になる…という考え方が書かれていた。これは八百長問題とは背中合わせなのだが、確かに多くの近代スポーツのルールが作られたイギリスでは、まさに賭けの対象としてそれら競技が発達してきたという歴史がある。


今後の日本のギャンブルのあり方のキーワードとして、筆者は「複合化」(他レジャーとの複合)、「巡礼型旅行の衰退」(わざわざ特定の場所へ出向く人の減少)、老人福祉型社会(健康、階級性、簡単さが求められる)を挙げているのが、いろいろと考えさせられた。
筆者は、公平であること、依存症対策を講じることの二点を、今後の日本のギャンブルに求めている。
本書を読んで最も考えさせられたのは、日本におけるギャンブル依存症対策の遅れである。今後はこの問題を少し掘り下げていきたいと思った。