『官僚の責任』

官僚の責任 (PHP新書)
経済産業省(旧通商産業省)の官僚だった筆者の古賀茂明氏による、官僚および行政機構の批判の書。
2011年3月11日の東日本大震災および原発事故を受けて出版された書なので、出足部分は「本当は防げたかもしれない原発事故」という話が続く。そしてそれも含めた諸悪の根源は、「省益(省の利益)」しか考えなくなってしまった官僚たちにある、というのが筆者の論の大筋。
しかし批判するだけではしょうがないので、本書には官僚制度改革案も載っているほか、「役所には金があって投資センスは必ずしも無いのだから、利用しない手はない」というような表現もあったが、私はこの意見には大きく頷いた。ようは大義名分とタイミングが肝心なわけで、この2つの条件さえ揃えば予算がついて民間にもお金が回されるのである。ただしそのための手続きや折衝には独特のテクニックが必要で、それがかなりハードルを上げているとは思う。その挙句、テクニックに長けた一部の人(=官僚OBの天下りを抱えた企業や団体)によって、せっかくの予算が(悪く言えば)食い物にされている、という仕組み自体を問題に感じている。

私に言わせれば、公務員が国民を見て仕事をしない最大の問題は、確かな評価システムがないことにある。その観点から、私が第一に導入すべきだと考えるのは「身分保障の廃止」と、それにともなう「実力主義の採用」だ。

これは私の経験から言うのだが、潜在能力の高い人間に若いうちから意味のある仕事をさせれば、メンタリティは絶対に変わる。私のような優秀とはいえない人間でさえ、早くからさまざまな規制緩和や改革に携わったことで「この仕事はおもしろい」と心底、感じたものなのだから。

という感じで筆者はしきりに「実力主義の導入」によって省益だけを見ている先輩上司を乗り越えていく官僚像を訴えるのだが、出世に時間がかかることと、先輩上司が強いというのは別問題なのではだいだろうか?
「出世したい」と思っていなければある程度のチャレンジはできると思う。結局みんな上を向いていることそのものが問題なのでは? そして仲間意識が強過ぎることも。