『神楽坂・茶粥の記』

神楽坂・茶粥の記 矢田津世子作品集 (講談社文芸文庫)
矢田津世子という作家のことについてはこの本を手に取るまで全く知らなかったが、早世の美人作家として一部ではアイコン的な存在であるらしい。秋田県に生まれ、9歳のときに一家で東京へ転居、二十歳頃から執筆をはじめ、当時(昭和の最初の20年間)雨後の筍のように創刊されていた婦人雑誌で多くの作品を発表し、37歳のとき結核で亡くなった女流作家である。
本短編集は、「茶粥の記」というタイトルに“食べ物本”好きの私の食指が動いたために読んでみた。その表題作は、妻が得意の茶粥を炊きながら亡き夫を回想する話で、この夫というのがしがない役所の小使でありながら、職場ではいっぱしの食通として名が通っているのである。すべてどこかで聞きかじった情報を、まるで自分で行って現地で食べてきたかのように語ったり書いたりするのが得意で、「聞き手たちは良人の話からまだ知らぬ味わいをいろいろに引き出しては、こっそりと空想の中で舌を楽しませる」のである。

 しかし、良人の場合はうまいもの屋へ行ったというわけでもなく、板場の通というわけでもなく、諸国の名物を食べ歩いたというのでもない。ただ、話なのである。味覚へ向ける良人の記憶力と想像力は非常なもので、たとえば何処かで聞きかじった話だの雑誌や書物などで眼についたのをいつまでも忘れずにいて、折にふれ、これに想像の翼を与えるのである。…(中略))
「あなたって変ね。ほんとうに召し上りもしないでお料理のことを御存じだなんて……食べなけあ詰まらないのに」
 おかしがる清子へ良人は、
「想像してたほうがよっぽど楽しいよ。どんなものでも食べられるしね」
 笑いながら言う。それもそうかも知れないと清子は食通として知られている良人に神秘めいたものを感じて、やはり尊敬していた。

不思議な短編だった。


他の作品では、もう一つの表題作「神楽坂」をはじめ大正から昭和にかけての家父長制のなか、妾の存在に悩まされる女性の話が多かったが、それと並んで、「せむし」の女性がいくつかの短編に出てくるのが印象的だった。これは誰か同じ女性がモデルになっているのだろうか、それとも筆者自身の何かを投影したものなのだろうか?