『意味がなければスイングはない』

意味がなければスイングはない
村上春樹氏が、自分の好きな音楽について書き綴ったエッセイ集。
自身あとがきで「言い訳をするのではないが、音楽について感じたことを文章のかたちに変えるのは、簡単なことではない。」、「それが結果的にうまく行ったか、あまりうまく行かなかったか、それは本人にもよくわからない。とりあえず全力を尽くした、としか本人としては言いようがない。」と(いつものハルキ調で)述べているとおり、評論化視点でもなくミーハー視点でもない、ただ愛好(偏愛)しているんだなというのがよく分かる、ラブレターのような書きぶり。
「…なんだけど、…」みたいな留保つきの文も多く、歯切れが悪くもある。もじもじしてる感じも恋文っぽい。
ウィントン・マルサリスを称して「変なたとえで申し訳ないんだけど、やたら前戯がうまい男みたいで、もう一つ信用できないところがある(個人的感想)。」という言い回しもふるっていたが、とくにラブレターとして名文だな、と感じたのは、元Beach Boysのブライアン・ウィルソンについての一章だった。

1963年に初めて「サーフィンUSA」を耳にしてから、長い歳月が流れた。ブライアンにとっても、僕にとっても、それはずいぶん重みのある歳月だった。あらゆる予想を超えた種類の歳月だった。そして、とりあえず、僕らはここにいる。ワイキキの夜に、やむことのない雨に打たれながら、その空間と時間を共有している。それは誰がなんと言おうと、素晴らしいことであるように思える。少なくとも我々は生き延びているし、鎮魂すべきものをいくつか、自分たちの中に抱えているのだ。

音楽は決してそれ自体が独立した芸術ではない。どんなに繊細なメロディーも流麗な音色も、演奏する人間とそれに耳を傾ける人間がいてはじめて意味をなす。そこに意味があるから、意味づけを読み取るから、音楽はスイングするのだ。