『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』

バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア (理想の教室)
音楽批評家の小沼純一氏による、対話形式で書かれたバッハとその作品「ゴルトベルク変奏曲」についてのエッセイ。全部で30ある変奏全てについてあれこれ書かれていたのは面白かった。
ゴルトベルク変奏曲と言われてもすぐにピンと来ない方もいるだろうが、この曲は割と人気曲で、映画などにもちょくちょく出てくる。とくに有名なのは冒頭部分のアリア(と、ゴルトベルクに新たな解釈を加えたグレン・グールド)。

バッハの生きた時代背景をいろいろと探りながら、バロック音楽とは何だったのかを語った下りが大変興味深かった。

 バッハの生きていた時代に書かれた幾つかの思想・文学作品を見てみると、おもしろいことがわかる。恣意的だけれど、こういったものを挙げておこう──
 1667年 ミルトン『失楽園
 1675年 スピノザ『エチカ』(完成はさせるが、すぐに出版はしない)
 1719年 デフォー『ロビンソン・クルーソー
 1726年 スウィフト『ガリヴァー旅行記』
 1759年 ヴォルテールカンディード
 スピノザは別にしても、ミルトンは、「楽園」にいられなくなる、否応なしに外部に出て行かざるをえなくなる話だし、それ以外の三作も、自分のいるところから外部へ、未知のところに出向いているのが特徴だ。

こうした啓蒙主義的な時代の空気の中で、一種の「百科全書」的なものとして、30もの変奏を連ねた曲集が作られたのではないか、という推測。

フーコーの《タブロー》つまり「表」に引きつけていえば、《平均律クラヴィーア曲集》や《ゴルトベルク変奏曲》、《音楽の捧げもの》や《フーガの技法》の抽象性と、リンクできるものなのではないか。それは、五線譜というひじょうに合理的な記述システムのなかに音符を配置した「表」なのだし、それは、グラフのように、一目見ればおおよその輪郭を摑むことのできるものだった。ちなみに、中世に生まれた譜表は、「ヨーロッパで最初に作成されたグラフ」で、横軸に時間、縦軸に音の高さを持つ。


また、「個人のために個人で演奏する音楽」の誕生として、このようにも推測している。

 現在のような、十九世紀以降に一般化するようなかたちでの「コンサート/演奏会」は当時存在しなかった。演奏するとなったら、それは教会であったり、宮廷であったりと、場がかぎられていた。路上、ストリートで演奏するひと、酒場で歌ったり演奏したりするひとは別にして。そうした状況において、楽器を弾くひとがひとりで練習する、特に聴き手を想定していない音楽のありよう、というのが、ここに生まれているのでは。それは存外、重要に思える。「ひとりで演奏し、ひとりで楽しむ音楽」の発生……それまでだって、そういうことは当然あったろうが、ひとつのかたちを成してきた、という意味で。音楽も、つねに「公/パブリック」なものではなくなった。儀式や典礼だけではない。カイザーリンク伯とゴルトベルクのエピソード*1が真実であるかどうかはともかく、音楽のあり方という意味で、音楽が寝室というプライヴェートな場にはいること、「練習曲」というふうに、特に聴き手を想定しなくてもいいかもしれないことは大きい。


ジャズはコード進行の中で即興を作り出していくという意味で、同じ曲の中でいくつもの変奏を重ねていると言えなくもない、と。なるほどね。変奏曲集を一回のセッションで一曲の中でやってしまうという。

 バッハの時代からもっとずっと下って、ジャズだって、コード進行を生かして即興するという意味では、変奏曲といえなくもない。むしろ、変奏のスタイルが、ジャズの即興を支えている。より広い意味で言えば、ロックの、間奏とか、ギターやキーボードのソロも、基本的にはコード進行をもとにしているので、変奏ではないか。

 音楽は音楽だけであればいい、とは思う。でも、聴き手の側はまったく白紙の状態で聴いているわけではない。聴き手には聴き手の生きてきた歴史が、文脈がある。本人は意識していないかもしれないが、それが「聴く」ことに──ひとによって多寡はあるだろうが──否応なしに反映してしまう。

*1:不眠症に悩むカイザーリンク伯のために、そのお抱え音楽家ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが伯爵の寝室で演奏するための曲集として「ゴルトベルク変奏曲」が作られた、という話。