『1Q84 BOOK 3』

1Q84 BOOK 3
青豆が自殺を図るところで幕を閉じたかに思えた物語、だがその先があった…ということでBOOK 3へ。
1984年のパラレルワールドである「1Q84」の世界では月が二つ存在しているのだが、これはもともとは一つであるべき何かが分裂した世界であることを表しているように感じた。

私の心と身体はひとつにならなくてはならない。やがて眠りが漂う煙のように音もなく訪れ、彼女の全身を包む。空にはまだ二つの月が並んで浮かんでいる。

分裂しているのは青豆と天吾なのか、それとも見る者の心と身体なのか。

 小松は鼻の脇に皺を寄せたまま長く考え込んでいた。それから溜息をついて、あたりを見回した。「まったく奇妙な世界だ。どこまでが仮説なのか、どこからが現実なのか、その境界が日を追って見えなくなってくる。なあ天吾くん、一人の小説家として、君なら現実というものをどう定義する?」
「針で刺したら赤い血が出てくるところが現実の世界です」と天吾は答えた。

1Q84の世界では、青豆が暗殺の標的に針を刺しても赤い血は出てこない。


物語は青豆視点か天吾の視点で語られていて(3巻に至って牛河の章も出てくるが)、それはずっと一貫しているのだが、唐突に地の文(語り手目線)の文章が登場する場面がある。それは青豆がマンションのテラスから夜中に公園を出て行く子供のような人影を見かけた直後の文章で、何故かここだけが「もう少し明るいところであれば、あるいはもう少し長くその姿を見ることができていれば、頭の大きさが少年のものではないことに彼女は当然気づいたはずだ。」といった具合に、第三者の視点なのだ。
ちょっとこの箇所だけ違和感を覚えた。


しかし、全編にわたってこれだけNHK(エネーチケー)の集金人を執拗に印象悪く描いていたら、NHKで取り上げづらくなってしまう…ということはないのかな?