『赤坂ナイトクラブの光と影 「ニューラテンクォーター」物語』

赤坂ナイトクラブの光と影―「ニューラテンクォーター」物語
かつて赤坂にあり1982年に大火災を起こして焼失したホテルニュージャパンは、元々は岸信介内閣の外務大臣・藤山愛一郎が「日本にも世界に通用するホテルを」ということで自ら建造を計画したものだそうだが、あわせて「海外からの賓客をもてなす」ことを目的として、“戦後日本最大のフィクサー”として知られる児玉誉士夫の力を借りてホテルの地下に作ったのが、本書の舞台となっている「ニューラテンクォーター」というナイトクラブだった。
そこでは教養と美貌を兼ね備えたホステスたちが揃い、ステージ上ではサミー・デイビスJr.やナット・キング・コールトム・ジョーンズなどアメリカの大物エンターテイナーが本場ラスベガスに劣らないショーを繰り広げていた。政財界の大物はここで日本の舵取りについて話し合い、三船敏郎勝新太郎萬屋錦之介石原裕次郎ら芸能界の伊達男たちは誰が一番粋な飲み方をするか競い合い、また力道山はここで自らの命を失うこととなる刃傷沙汰を起こした。つまり、昭和30年代から平成の直前まで(閉店は平成元年の5月)、一貫して日本の裏世界の交差点であり続けたのが、この「ニューラテンクォーター」だったのだ。
筆者はその「ニューラテンクォーター」開店当初から閉店までフロアで営業担当を任されていた。これはつまり、戦後日本の裏社会の一端をまさに眼前に見てきた人ということになるわけだから、その回想録がつまらない訳がない。


ニューラテンクォーターに集った裏表両面の紳士録や事件簿、ホステスの教育方法、閉店に至った経緯等々いろいろと興味深いエピソードが並んでいたが、しかし私が一番心に残ったのは本書の掉尾を飾っている次のような一文だった。

 私どもの店のご常連であられた石原慎太郎東京都知事が今、お台場に大人のためのカジノを作ろうと提言されています。石原さまが目指されているのは、大人の社交場と推察申し上げます。そう思えば、私どもの店でのひとときが石原さまにとりまして、それほどまでに楽しく感じられたのだろうかと嬉しく存じます。しかし私は、大人といえる人が不在の今の日本で、果たしてそのような社交場が成立するのかと不安でございます。国や会社、あるいは自分自身に誇りを持たない人間が集まりましたところで、下司な博打場にしかならないのではないでしょうか。社会が変わり、日本人が変わらない限り、「ニューラテンクォーター」のような社交場は、二度とこの国に現れないような気がしてなりません。

強烈な矜持に裏打ちされたこの言い切り。
ニューラテンクォーターという店は、その誕生も終焉も、時代の必然によって糸を引かれていた稀有な場所だったということか。