『文化系のためのヒップホップ入門』

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)
結局ヒップホップというのは大喜利だ、ということで納得した。だからお題に沿っている、つまりステレオタイプを踏襲しているように見えるのが当たり前。有季定型の俳句で競い合っているようなもの。

ずばり、一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティションです。その違いは、たとえば第一線から退いたアーティストの扱われ方の違いに表れています。ロックだとファンが徐々に減っていくけど、ヒップホップはファンがクモの子を散らすようにいなくなっちゃう。それは「こいつはもうゲームに勝てなくなった」と見限られたってことなんですよ。

ラップは、コミュニティの皆が共感できるトピックをお題に誰が上手いか競い合うゲームなので、そのトピックのひとつとして政治への不満があるという認識です。政治的なメッセージが「金が欲しい」より高尚って考えるのはロック的な考えであって、政治に怒りを覚えることもあれば金が欲しいと思うこともあるのが人間じゃないですか。

ヒップホップの「お題」のなかで、90年代に最大勢力を誇っていたのが「ギャングスタラップ」だが、正直言って私はこのあたりで離脱していったクチ。ストリートのリアルだか何だか知らないけど、あまりにも自分の生活からかけ離れすぎていて…。
しかしそれも、ギャングスタというアングルを持ち込むことで、アンチも含め逆に表現の幅が広がったということかもしれない、と本書を読んで了解できた。俳句の定型・有季のように、ギャングスタの世界観を導入することでルールが統一されたというか。

ヒップホップは「新しい/古い」ではなく、自分たちが「今」いる「この」場所のドキュメントなんですよ。リリックもそうで、ギャングスタ・ラップって常に内容が批判されるじゃないですか。でもキワどい話って仲間うちでは共有されているもので、一種のフォークロアですからね。


そして現在、ギャングスタに取って代わる勢いでヒップホップ界を席捲しているのは何かというと、「ラテン化」なのである。サウスアメリカを中心にヒスパニック系のテイストが入ったリズム、カリブ海の土俗的なリズムが次々に持ち込まれてきている。その旗手こそがTimbalandというわけ。

たぶん南部の人って、ずっとその感覚を持ち続けていたと思うんですけど、ここにきてパンドラの箱を開けちゃった感じなんでしょうね。でもその結果、R&Bを支えていた音楽的な要素が崩壊しちゃった。今までのR&Bを愛していた人たちは「一時期の流行だ」って言っていましたけど、15年くらい過ぎても止む気配がない。そういう意味ではティンバランドネプチューンズの登場こそが「リズム&ブルースの死」なのかもしれません。それを「白くなった」と批判する人は多いんでしょうけど、一方では真っ黒になっているんですよ。


さらにこうした流れを、大きな「黒人音楽」の歴史の中で捉えなおす記述が新鮮で興味深かった。

たとえばモダン・ジャズは「モダン」というだけあって、これまで「天才」のレトリックで語られることが多かったんですが、これを「ヒップホップ的」に聴くとどうなるか。つまり、いつまでもチャーリー・パーカージョン・コルトレーンの「天才」に注目するのではなく、モダン・ジャズという“場”に参加した「バード」や「トレーン」というキャラを中心にそれぞれのミュージシャンのやりとりに耳を傾けると別の面白さが見えてくる。黒人音楽の特質である「ループ」も、大縄跳びのようなものだと思えばいいんですよ。12小節AABというルールが設定されたブルースも、特定の曲がお題として与えられるモダン・ジャズも、もちろんヒップホップも、その“場”に参加して「跳びたい」と思う人に開かれているわけです。その開放性を象徴するのが「ループ」という音楽構造ではないかと。この大縄跳びを誰が一番かっこよく跳べるのか、誰が一番ギャラリーを沸かすことができるのか。誰もがいつでも参加できるように大縄跳びが延々と続けられる──そんなイメージでとらえると、黒人音楽も違った聴き方ができるようになったんです。