『帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて』

帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて (ちくま新書 (546))
いつの間にか出ていました。奥付を見ると2年前の初版。
著者の小谷野敦さんは、1999年に『もてない男』(asin:4480057862)という新書をものされてから一気に知名度があがったようですが、実は私が大学生のときに文学部で講師をされていて、直接授業を受けたことはないのですが、別の先生の比較文学の授業を受けていた関係で、なんとなく記憶に残っている方です。1999年は私が大学を卒業した年なのですが、前作『もてない男』は在学中に本屋で見つけて購入し、「面白かった」と友人たちに薦めた記憶があります。


さて前作で、現代の日本における「恋愛至上主義」をつぶさに批判した小谷野氏ですが、その後めでたくというか残念ながらというか短い期間に結婚と離婚を経験されたそうで、「結婚したら幸せになれるといった類の幻想はなくなった」と本書の前書きに記しています。
それにしては…と私などは思うのですが、本書の小谷野さんの論を読んでいると、いまだに「恋愛」「セックス」「結婚」という3つの要素が、同じ地平で語られているようで、気になります。つまり、「もてる」=「好きな人と恋仲になってセックスをして結婚をする」という三位一体の状態だけを念頭にしておられるようで、どれかが欠けた状態というのを最初から論外としているようなのです。
ここに、まさに小谷野さんの「もてない」という言葉の使い方と、世間一般でいう「モテ」という言葉との食い違いが生じているのだと思います。世間一般の「モテ」というのは、なんというかもっと緩やかな目標なのではないでしょうか。単に異性に色目を使ってもらうこと、というか。
ちょっと小谷野さんに聞いてみたいと思うのは、果たして氏は、恋愛におけるキスの位置づけをどのように考えているのかということ。「出会い→セックス→結婚」の3プロセスしか話に出てこないので、キスをしただけで別れるとか、そういう男女関係についてどう思っているのか聞いてみたいところです。
しかし何だかんだ言っても忘れてはならないのは、前作『もてない男』で小谷野氏が喝破した、「自分が好きな人以外にもてても、もてたことにはならない」という定義づけ。言われてみればそのとおりなのですが、それを改めて言い切ったところがすばらしいと思います。


…ところでその小谷野さんですが、なんとつい最近2度目のご結婚をされたのだとか。
2007-06-30 - 婦人公論ブログ - 編集部からお届けします、ここだけの話。
本書の巻末で「七ヶ条の求婚条件」というものまで掲げた小谷野さん。奥様になられた方はどんな方か、下賎な興味が湧くのですが…。
とくに第3番目の条件が笑えました。

三、専門でなくともよいが、文学や演劇に関心があること、ただし古典的なもので、『源氏物語』くらい一般教養として原文ないし現代語訳で読んでいること、シェイクスピアも翻訳でいいから五、六点は読んでいること、谷崎や川端が好きというのが望ましく、村上春樹江國香織などは不可。演劇は、歌舞伎、能楽ギリシャ劇、チェーホフなど。宮藤官九郎が好きなどというのは不可