『悪女入門 ファム・ファタル恋愛論』

悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書)
義母が貸してくれた本。鳥取までの帰りの電車内で読了。
マノン・レスコー』、『カルメン』から『椿姫』、『ナナ』、『マダム・エドワルダ』にいたるまで、古今のフランス文学に登場する悪女=「ファム・ファタル(運命の女)」を紹介しつつ、男を惹きつける術を随所に学び、さらにはフランス文学のある一面の勉強にもなるという、一粒で二度も三度も美味しい評論集。
もっとも、これらの文章は元々は「マリ・クレール」や「FRaU」といった女性誌に連載されたものを加筆したというだけあって、上記の物語や小説を読んだことがない人(私もその一人!)にも分かりやすいよう、かなり噛み砕いて書かれている。逆に言うとそこが物足りなく感じた。


そもそもタイトルからして「悪女入門」なのだが、時折「男性を落とすにはこうすればよいのです」的な下世話な茶々が入って、何だか馬鹿にされているような印象を受けた。それって言い換えれば、「男ってこういう女に弱いんだよね〜。さあ女性読者諸君、このポイントさえ押さえておけば男はイチコロですよ」って言ってるのと同じなのではないだろうか?
無論「ファム・ファタル」についての論なので、男を惹きつけるだけでは終わらず、相手の男性から富や名声や才能を奪いつくして破滅させることになるので、単純な恋愛ハウツーとは話は違うのだが…。
果たして女性読者はこの本をどう思って読むのか、興味を覚えた。


ただそんな中でとても印象深かったのが、エミール・ゾラの『ナナ』について論じた章。
フランスの第二帝政時代に絶頂期を送った高級娼婦のナナは、作中において年間の生活費に現在の日本円換算で10億円(!)も費やす豪奢な生活をしていると描かれている。これは作者のゾラが綿密な取材の上で書いたものだそうで、当時のパリには実際にそういう高級娼婦が何人も存在していたのだそうだ。凄いな。
こうした出費は、当然ながら全てナナの「商売相手」から巻き上げた財産で賄われている。これだけの金食い虫のパトロンになるには、それ相応の富を持っていなければならない。つまりファム・ファタルの相手をはるには、男のほうも並みの男では太刀打ちできないのだ。
そこで本書の筆者である鹿島茂氏の論。

 そう、男として生まれたならば、ナナの「贅沢」を支えきるだけの「生産」を用意する義務があるかのようです。…(中略)その「生産」が、ナナの贅沢を満たすために、「金銭」に変えられたとたん、それはすべてナナの中に吸い込まれ、ほとんど意味のない「贅沢」となって再び社会の中に循環してゆくのです。
 こうなると、ナナはひとつのシステムと化します。「金銭」という善悪の彼岸を超えたファクターを循環させることによって、自己肥大化を限りなく繰り返していくシステム、通常、「近代資本主義」という名前で呼ばれている無機質なメカニズムの別名なのです。

つまり、ファム・ファタルとは近代資本主義の擬人化された姿だというのだ。これは面白い考え方だと思った。


時に資本主義は、己の財産を全て賭けてでもアタックしたくなる「運命的な」魅力に満ちている。しかし富みと名声と才能と財産全てを賭けても、資本主義そのものを屈服させることは決してできない。相手が「システム」なのだから、それは当たり前のことなのだ。
そこで男は(人間は)2つのタイプに分かれるのだと、私は思う。
不可能を知りつつも全てをファム・ファタルに賭けることを夢見るタイプか、一生涯ファム・ファタルに出会わないことを願って翼々と生きていくタイプか…。