「ウィスキー」

ウィスキー [DVD]
2004年第17回東京国際映画祭でグランプリに輝いたウルグアイの映画。フアン・パブロ・レベージャとパブロ・ストールという2人の若者(「南米のカウリスマキ」と呼ばれているとかいないとか…)による共同監督作品ですが、レベージャ氏はその後32歳の若さで亡くなっています。

父親から受け継いだ小さな靴下工場を営む初老の独身男・ハコボ。
亡くなった母の墓石を建てる儀式に出席するため、ブラジルに移住しているやり手の弟・エルマンが久しぶりにウルグアイに帰国する。ハコボは兄としての威厳を保つため、自分の工場で働くオールドミスのマルタに「数日間だけ自分の妻のふりをしてくれ」と頼む。マルタはこの願いを聞き入れ、ハコボの家をきれいに片付けたり、「2人で並んだ写真を飾っておいては?」などと積極的に提案する。
やがてエルマンがやってきた。3人で週末を過ごすうち、マルタは陽気なエルマンに惹かれ、ハコボはそれを快く思わない。
エルマンは兄に、「母のことで世話をかけた」とまとまったお金を手渡すが、ハコボはそれを捨てる覚悟でホテルのカジノで全額賭け、逆に大儲けしてしまう…。

「ウィスキー」というタイトルではありますが、お酒のウィスキーは一度も作中に出てきません。これは写真を撮るときの掛け声で、ちょうど日本でいう「チーズ」みたいなもの。「キー」という口の形が笑顔になるわけです。ハコボとマルタがニセ夫婦として2ショット写真を撮るときも、3人でさびれた保養地に出かけて記念撮影するときも、この掛け声でシャッターを押しています。
ファインダーの前で「ウィスキー!」の掛け声でポーズをとっているときだけは、誰もが幸せそうな笑顔になるわけですが、ひとたび写真を撮り終えれば人々はまたバラバラになっていく…そのことを暗示するタイトルなのでしょうか?


作中に何度も繰り返し出てくる別れの挨拶に、「神が望めばまた明日」というのがありました。きっと「さようなら」の丁寧な言い方なのだと思います。ウルグアイでは普通の挨拶なのでしょうか。
ある瞬間は同じ場所で同じ時を過ごす者どうしも、ひとたび離れ離れになってしまえば、また邂逅できるかどうかはまさに「神のみぞ知る」ことなわけです。実際、ハコボとの仮面夫婦生活を終えたマルタは、「神が望めば」と言って自宅に帰っていくわけですが、翌朝ハコボの工場に姿を現しませんでした。この、虚構の(ポーズの)生活が終了してバラバラになったときにマルタが感じる寂寥感といったらありません。


監督2人は、全てのシーンで固定カメラを使ったこの作品の撮影方法について、「フレームから登場人物が出て行くことで、観客の想像力をかきたてる効果を狙った」、「我々は映画で全てを語りはしない。我々がするのは火花を散らすだけで、それを心の中で炎にするのは観客の作業だ」といったようなコメントをしています。
なるほど、登場人物がフレームの外で何をしているのか、何故3人はそれぞれあんなふうに行動するのか、さらには3人のその後はどうなったのか…といった疑問は、我々見る側の心の中にだけ解答があるのでしょう。
それはあたかも、ポーズをとった人物が写った一葉の写真を見て、その背景にあるものを想像していく作業のようです。