『マイルス・デイビス自叙伝(2)』

マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)
読了。正直言って第1巻(の時代)のほうが刺激的で面白かった。第2巻ではアフリカや東洋的な音楽にひかれて行くマイルスが、コカインのジャンキーとなって体をボロボロにして、ついには一旦引退し、カムバックしてくるまでが書かれている。作品的に言うと、モード奏法の幕開けとなった「Milestones」(1958)あたりから、フュージョンのさきがけとなった時代、そしていわゆる「エレクトリック・マイルス」と後に呼ばれるシンセサイザーを導入した新しい音楽の時代まで。
こうして読んでみると、このマイルス・デイビスという人は、生涯に渡って音楽の世界で新しい挑戦を続けた人なのだなあと改めて気付かされた。


ジョン・コルトレーンキャノンボール・アダレイらのいた頃のマイルスのバンドに、ピアノのビル・エバンスが入ってきた時のエピソード。

 オレ達が時々“モー(Moe)”と呼んでいたビル・エバンスがバンドに入ってきた時は、あまりに静かなんで驚いた。ある日、どれだけできる奴か試してみようと、言ってみた。
「ビル、このバンドにいるためには、どうしたらいいか、わかってるんだろうな?」
 奴は困ったような顔をして、頭を振りながら言った。
「いいや、マイルス。どうしたらいいんだろう?」
「ビル、オレ達は兄弟みたいなもんで、一緒にこうしているんだ。だから、オレが言いたいのは、つまり、みんなとうまくヤらなくちゃということさ。わかるか? バンドとうまくヤらなくちゃ」
 もちろん、オレは冗談のつもりで言ったんだが、ビルはコルトレーンのように真剣そのものだった。で、一五分くらい考えた後、戻ってきて言った。
「マイルス、言われたことを考えてみたけど、ボクにはできないよ。どうしても、それだけはできないよ。みんなに喜ばれたいし、みんなをハッピーにしてあげたいけど、それだけはダメだよ」
「おい、お前なあ!」。オレは笑って言った。で、奴にも、やっとからかわれてることがわかったんだ。ビル・エバンス、いい奴じゃないか。


1964年に初来日したときの話。

 日本はものすごく遠い国だったから、オレは飛行機の中でコカインと睡眠薬を飲み、それでも眠れなくて酒もガンガン飲んでいた。到着すると、大変な歓迎ぶりで驚いた。オレ達が飛行機を降りようとすると、出迎えの人々は、「日本にようこそ! マイルス・デイビス!」とか叫んでいた。なのにオレときたら、そこらじゅうに吐きまくる始末だった。だが、すばらしいことに、彼らはさっと薬を出して介抱してくれ、まるで王様のように扱ってくれた。本当に楽しくて、すばらしかった。あの日以来、日本の人々を愛しているし、尊敬もしてる。ビューティフルな人々だ。いつでも大変な歓迎をしてくれるし、コンサートも必ず大成功だ。


後年、エレクトリック・サウンドに傾倒していったことについて。

 多くの連中が、オレがただエレクトリックを使ってみたかっただけだと言っていた。だが、そんなこととは関係なく、オレはただ、普通のピアノからじゃ得られない、フェンダー・ローズで初めて可能なある種のボイシングを試したかったんだ。エレクトリック・ベースにしたって同じことだ。アコースティックの代わりに、その時オレが聴きたかったサウンドがそこにあったということだ。ミュージシャンは、自分が生きている時代を反映する楽器を使わなきゃダメだ。自分の求めているサウンドを実現してくれるテクノロジーを活用しなきゃならない。エレクトリックが音楽をダメにすると考えている純粋主義者はゴマンといるが、音楽をダメにするのは、どうしようもない音楽そのものなんだ。ミュージシャンが選択した楽器が音楽をダメにするわけじゃない。正しく演奏できる立派なミュージシャンを選ぶ限り、エレクトリック自体にはなんの問題もない。いまだにそのことに気づいていない奴がいる。


1987年にレーガン大統領(当時)とナンシー夫人のパーティーに出席したときの話。マイルスと同じテーブルに座った政治家夫人が、「なぜジャズは正当な芸術として認められないのかしら。黒人の芸術だからかしら」と知ったふうな口をきいてきたのに対して。

「なぜジャズがこの国で正当に扱われないのか、本当に知りたいのかね?」
「もちろんよ」
「白人はなんにでも勝たないと気がすまないから、ジャズは無視されてるのさ。あんたみたいに、白人はいつでも自分達がすべて優位に立っていないと我慢できないが、ジャズやブルースは黒人が創造したものだからそうはいかないんだ。ヨーロッパの白人は誰が何をしたかを理解しているから、それを受け入れ、オレ達を称えるが、この国の白人のほとんどはそうはしないんだ」
 彼女はオレを見て、真っ赤になって言った。
「まあ、何をそんなにたいそうなことをしたというの? どうしてここにいるのよ?」
 無知なくせにヒップぶるから、オレがこんなふうに話さなきゃならない状況になってしまって、大いに迷惑な話だった。まったく、すべて彼女が自分で招いたことだ。だからオレは、「五回か六回ほど音楽を変えたんだから、それがオレの功績だろう。それにオレは、白人の作品ばかり演奏するなんて考えなかった」と答えて、さらに彼女を冷ややかに見つめて、続けた。「さて、白人であるというのは、オレにとっては重要なことじゃない。だから、それ以外に何か、どんなすばらしい業績がおありなのか、聞かせてもらおうかね。あんたの名誉のいわれを教えてもらおうじゃないか」
 彼女は口の周りに食べ物をいっぱいつけたまま、顔をひきつらせはじめた。怒りのために口もきけない様子だった。ナイフで切れそうなぶ厚い沈黙があった。社会的に最もヒップだと思われているこの階層の女は、まったく馬鹿な振る舞いをしていた。なんとも嫌になる話さ。