「書の至宝」展

今日は思い立って、朝から上野の国立博物館へ行って「書の至宝」展を見てきた。国内外から書の名蹟を集めた展覧会。
別に書の世界に縁もゆかりもないのだが、古今の墨蹟を拝みながら、3月に生まれる息子の名前でも考えようか…という趣向。


甲骨文字(骨に刻まれた本物を見たのは初めてだった)から金文を経て、篆書、隷書、草書、行書、楷書と形を変えていった漢字なのだが、二千年前の文字を読んで意味が分かる(分からないものもあったけど)という不思議に、興をおぼえた。


あと見てて感じたことをパラパラと。

  • 同じ楷書でも、昔と今、中国と日本とでは、ややバランスが違っているのが面白かった。中国の字は全体のシルエットがやや角ばっていて、日本のは丸い感じ。平仮名の影響か?
  • 東晋王羲之(おうぎし)の筆跡が「名筆」とされて、以後の中国で(ということは日本でも)盛んに模写されたのだが、今見ると王さんの文字は右への「はらい」がやや極端な感じがした。
  • 数々の書簡(巻物)が展示されていたが、古今和漢のいずれを見ても、一行に収める文字数が不揃いだった。あまつさえ、漢詩を書いた掛け軸などでも一行に書けるところまで書いてしまうので、一句の途中で改行…などということが当たり前。七言絶句が3.5行で書かれていたりした*1。よく考えてみると一行の字数を揃えるなどというのは、活字印刷の技術が生まれて以降の考え方に過ぎないのだと思った。
  • 日本最古の肉筆資料、ということで聖徳太子の親筆(「法華義疏」)が展示してあった。他にも空海や道風、佐理、行成、道長、定家、一休宗純などの手が見られてよかった。
  • 中国の書は、長辺が3メートルほどある大きな掛け軸に書かれているものが多く展示されていた。それに対して本邦の書は、大きいものは襖絵や屏風に書かれていた。掛け軸は小ぢんまり。茶道などの影響や、そもそも建築様式の違いなどに起因するのだろうか。
  • 日本の書は、余白の使い方がいかにも…という感じだった。色とりどりで透かし模様の入った料紙(唐紙からかみ)に、さらさらっと余白たっぷりに文字を散らして和歌を書いた「継色紙(伝小野道風書)」や「寸松庵色紙(伝紀貫之書)」などが代表的。

  
左から王羲之聖徳太子小野道風(伝)の筆


ちなみにこの展覧会、多くの書を中国の上海美術館から借りてきたものだったが、その上海美術館でも今年の3月から4月にかけて「書の至宝」展が開かれる予定とのこと。見に行きたいけど…。

*1:こういうのを見るにつけ、漢詩は文字ではなく「音」の芸術なのだと思います。