『お言葉ですが…(4) 広辞苑の神話』
高島俊男・著。
ブックオフの100円コーナーで購入。たったの100円(税込み105円)でこれだけ知的刺激が得られるのだから、新古書販売に反対する著作権保持者の皆さんには申し訳ないが、いい世の中だ。
高島さんの本を読むと、なるほどと思わされたり、溜飲を下げたり、思うところが多いのだが、今回はその中でも文庫本の語句注釈を切り捨てた段(「これは賤しきものなるぞ」)について取り上げたい。
高島さんはこの本の中で、新潮文庫の太宰治『津軽』の平成9年当時の版に付いていた注釈をめった斬りにしている。
この注釈、『津軽』という一個の文学作品となんら関係なく、とにかく辞書的な意味を書いただけのシロモノ。しかも素っ頓狂な見当違いをやらかしたりしており、
こんな注釈はなきにしかず。ガキであっても、本文のみをあたえ、この『佶屈』というのはなんだろう、と考えさせたほうがはるかにまさる。いや、考えなくったって、文中くりかえし出てくる、何かといえば『これは賤しきものなるぞ』と肩ひじはる津軽人の性格とかかわっていることくらいは、高校生でもわかるだろう。ヘタな注釈家がシャシャリ出てきて見当ちがいを言う必要はさらにない。
という高島氏の意見も、むべなるかなと思った。
私もつねづね、あの文庫の文章に付いているアスタリスクの山が、目障りでしょうがなかった。しかし目障りと思いながらも、ひょっとして何かしら素敵なことが書いてあるかも…と思うと、本文を中断して後ろのほうの注釈を繰らざるを得なくなる。で、大概はしょうもない注釈しか書いてないのだ*1。
この『津軽』の注釈を付けたのは、大学教授で国文学をやっている渡部芳紀という方らしいのだが、「どういう人なんだろう?」と思ってネットで調べてみたら、なんと太宰治や宮沢賢治を主にやっている方*2らしい。
まあ、だからこそ新潮から文庫の注釈付けなんていう仕事が来るのだろうが。うがって考えると、新潮がハク付けのためにこの方の名前を借りて、実際の注釈付けは別の人が適当に辞書を引いてやった…なんてこともあるのかも??
折も折、来週ケーブルテレビでこんな番組をやるらしい。私の家でも見られそうなので、ちょっと録画してみようかと思っている。
「知の回廊 心の王者 太宰治の『津軽』を歩く Ⅰ・Ⅱ」(多摩テレビ)
http://www.ttv.ne.jp/5ch/ch.html#006