『鍵のかかった部屋』

鍵のかかった部屋 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
先日三島由紀夫の『鍵のかかる部屋』を読んだので、それにちなんで読み始めた小説。名古屋からの帰りの新幹線で読了。
ポール・オースターの作品を読んだのはこれが初めてだったが、なるほど、村上春樹に近い雰囲気がある。喪失感、不在、異性との理解不能、などなど。
本作は、美しい妻と子を残し突然失踪した幼馴染の友人ファンショーの足跡を、後に託された詩や小説、手紙を手がかりに主人公が追っていく…というお話。終盤まで、てっきり「ファンショー」とは主人公本人のことで、実は記憶喪失か何かになっていたというオチだと思って読んでいた…

…ファンショーはまさに僕がいるところにいるのであり、はじめからずっとそこにいたのだ。彼の手紙が着いた瞬間から、僕はずっと、彼の姿を想像しようと苦闘していた。彼がどんな様子をしているのか、頭の中に思い描こうとしていた。だが僕の頭はいつも、ひとつの空白を浮かび上がらせるだけだった。せいぜい出てくるとしても、あるごく貧しい情景にすぎなかった──鍵のかかった部屋のドア、それだけだった。ファンショーは一人でその部屋の中にいて、神秘的な孤独に耐えている。おそらくは生きていて、おそらくは息をしていて、神のみぞ知る夢を夢みている。いまや僕は理解した。この部屋が僕の頭蓋骨の内側にあるのだということを。

…のだが、(一応)そうではなかったようだ。物語の最後の最後に、「鍵のかかった部屋」のドア越しにファンショーと主人公が対話をする場面が出てくるのだが、これはこれで「内なる声との対話」と取れなくもないけれど、まあ一応「ファンショー」は実在しているのだろう。
おそらく作者はその辺、意図的に混同するように記述しているのだと思う。他人と自分の不確定性こそが本書のテーマなのだろう。