『偽書「東日流外三郡誌」事件』

偽書「東日流(つがる)外三郡誌」事件
本書の中にも書いてあったが、「東日流外三郡誌」とあるのを見て「つがるそとさんぐんし」と即座に読み下せる人は、あまりいないのではないだろうか。ちょっと前の新聞の書評欄にこの本(の文庫版)のことが書かれていて、つれあいが興味深げに読んでいたので、「へー、『つがるそとさんぐんし』か」と横から口を挟んだところ、「(書名を)よく読めたね」と感心されてしまった。


この『東日流外三郡誌』というのは、中世津軽の豪族安東一族に関わる歴史や伝承を、18世紀末から19世紀初頭にかけて安東氏の末裔である三春藩福島県)の藩主が編纂したものと伝えられている。『外三郡誌』によれば安東氏は前九年の役で朝廷軍に成敗された蝦夷のリーダー安倍氏の末裔ということもあり、その内容も中央朝廷に批判的なもので、「朝廷の力が及ぶ前の古代東北にはヤマト以上に先進的な文明が栄えていた」という、日本史の裏側を炙り出すような内容は非常に魅力的で、一部好事家から非常に高く評価されたシロモノである*1
しかしこれは実は学術的には全く信頼されておらず、俗に「古史古伝」と総称される「超古代史(我々が学校で習う日本史とは大きく異なる古代史)」ものの一つとして、一部マニア(含む私)に知られている文献なのだ。
著者は青森県の地方紙「東奥日報」の記者で、1992年に『東日流外三郡誌』の「発見者」が写真の盗用で告訴された事件を担当したところから、この史料の真偽問題に深く関わるようになっていった。本書ではその様子が時系列に沿って詳細に書かれているため、『東日流外三郡誌』を全く知らない人でも(著者自身がかつてそうだった)、偽書騒動の全貌が徐々に明らかになっていく様を追体験できて、非常に分かりやすい。


この本の結論から言ってしまうと、『東日流外三郡誌』は「発見者」とされる人物(1999年に73歳で死去)が自作したトンデモ史料だったということになるのだが、数々の証言や科学的反証がありながら何故世間に流布していったのか…という疑問への筆者なりの回答は、実に興味深い。

  • その最大の理由は、「自治体やマスコミが史料の権威付けに利用された」ということだ。この『東日流外三郡誌』という一連の古文書(に見せかけた近作)が世に出たそもそものきっかけからして、1975年に青森県の某村が編纂した村史の付属史料として活字製本されて出版され、地元マスコミもそのセンセーショナルな内容を大きく取り上げたところから始まるのだが、当時「活字メディア」が持っていた権威というものは絶大で、活字になったこと自体が「こんなものはインチキだ」と意見する者への反証となっていた。
  • 地方の活性化(つまり観光の目玉作り)に血道をあげている自治体側の思惑もあり、まんまと周囲が乗せられてしまったきらいがある。
  • 誰も原典に当たらずに、二次資料や引用の引用だけが一人歩きをし、それが議論のベースとなっていた。原典を見ればインチキなのは誰の目にも明らかでも、「発見者」がなかなか原本を表に出そうとはしなかった。あまつさえ原本をチラリと見せる行為により報酬を得ていたのに。
  • 面白いことにこの『三郡誌』はある程度のインテリ層に浸透していったのだが、それは「自分の情報収集能力や知的能力に自信のある人ほど、初めて聞く話や、考えもしなかったような話が出てくる本を過大評価してしまいやすい」という、知識人の陥穽にはまってしまったからではないか。
  • 70年代はUFOやUMAなどの目撃情報が列島のあちこちで報告された、いわば日本中がオカルトブームの渦中にあった。そうした時代の潮流にうまく乗った部分もある。
  • さらにこの事件の根底にあるものとして、かつて朝廷=中央から「蝦夷」「まつろわぬ民」「化外の地」として迫害され、明治維新の際には朝敵の烙印を押された「東北」の人々が抱く“反権力意識”のようなものも無視できない。…私は東北人ではないから、それがどんなものかは正確には分からないけれども。ただこのコンプレックスは、たとえばこの騒動の後に発掘された三内丸山遺跡などによって、学術的にも真っ当に払拭されたのではないか、と筆者は述べる。

こうした要因で、主に一般市民の間に広まっていった『三郡誌』ではあるけれども、学会からは「黙殺」された状態で、まともな学者は誰も相手にしなかった。ただ、この「黙殺」という態度も問題があったと筆者は暗に指摘する。沈黙そのものがある種の肯定と曲解されていったことも否めないし、せめて「これはインチキです」という一言ぐらい表明する責任があったのではないか、というわけだ。


本書で書かれていた「疑似科学」の基準についての話が興味深かった。

…原田*2は『外三郡誌』を現代人による偽作と考える一方で、それを取り巻く擁護派の姿勢を「疑似科学」の最たるものだと受け止めていた。「疑似科学」とは文字どおり「科学を装ったまがいもの」のことで、原田はその基準として、(1)反証不可能性、(2)検証への消極的態度、(3)立証責任の転嫁──の三点を挙げている。そして次のように語っている。
「…(中略)(3)の立証責任の転嫁。擁護派が秋田孝季*3の実在や和田さん*4の言動を信じたにもかかわらず、それらが信じられないという理由の説明を偽書派のほうに求め続けています。本来、立証責任は“『外三郡誌』は正しい”と法外な主張をしている擁護派が負うべきことなんです。これはねじれ現象です。」

これはなるほどと思った。エセ科学の人たちは、自身がその主張の正しさを証明するべきなのに、「だったら間違っていると証明してみせろ、証明できないならこちらが正しいことの証明だ」といった議論のすり替えを行う。我々はそういった論法には、気を付けるべきだ。
UFOや心霊現象の話は個人的には好きだけれど、それが現実にあることを証明するべくあらゆる手を尽くすべきなのは、話を聞いている我々のほうではなくて、現実だと主張する側なのだ。

*1:詳細な内容は東日流外三郡誌 - Wikipediaを参照。

*2:引用注:『外三郡誌』は偽書だと主張するグループの一人、原田実

*3:引用注:『外三郡誌』の作者の一人

*4:引用注:『外三郡誌』の「発見者」