『団塊の世代』

団塊の世代 (文春文庫)
いま世間では「2007年問題」とかいって、今後数年間に控えている「団塊の世代」の大量定年退職を危惧したり、またそれをビジネスチャンスと捉えたりして、いろいろと忙しいわけです。
また、私やちょっと上くらいの世代はいわゆる「団塊ジュニア」と呼ばれ、ファミコンからたまごっちまでさまざまなブームを作り、いままたその辺のプチ懐古趣味をくすぐるリバイバルブームが来ている(作られている)わけです。


その「団塊の世代」という言葉を考えたのが、当時通産省に勤務していた作家の堺屋太一氏であると言われ、それをタイトルに冠して1976年に発表したこの近未来予測短編集が、世間にこの言葉を広めたといいます。


1980年代初頭に大量の団塊世代管理職たちをコンビニエンスストアの店長として出向させる電機会社の話「予機待果」、80年代末に京浜地域に残った広大な自動車会社の工場跡地の利用法を巡って団塊世代らプロパーと銀行からの出向役員が対立する「三日間の叛乱」、90年代前半を舞台に「ミドル層」と名付けられた団塊世代の管理職銀行員が他企業に大量に出向させられる「ミドル・バーゲンセール」、20世紀の暮れに起きた石油危機により老人向けの国家予算が縮小される「民族の秋」の4編が収められています。


読んでみて驚いたのが、ほとんど私が生まれたのと同じ年に書かれたものにも関わらず、何ら古さを感じないということでした。
堺屋氏は団塊の世代の特徴を、その圧倒的なボリューム感と捉えたようで、いわばヘビに飲み込まれた大きなネズミのように、ゆっくりと団塊世代人口ピラミッドを上へ上へと移動していくことで、さまざまな現象が起きると予測しています。
団塊世代が若かったとき(60年代)にはジーパンや長髪、フォークソング学生運動などで世間にムーブメントを巻き起こしたその力が、やがて大量の管理職誕生によるポスト不足と人件費増大という弊害を起こし、そうして彼らが老人となったときにはそれを支える若い世代への負担が過酷なものになる、といったプロットを4つの時代を舞台にした小説仕立てで説明しています。


堺屋氏の暗い予測とは逆に、一時は「団塊マーケティング」などといって、これら大量の定年予備軍をターゲットにした豪華客船世界一周旅行とか、田舎暮らしとか、趣味の陶芸や書道講座とか、蕎麦打ち教室とか、いろんなものがドカンと売れるのではないか、という期待感があふれていました。
しかし最近では、そもそも「団塊」とひとくくりに語ること自体の是非が問われているようです。団塊といっても大卒会社員もいれば、肉体労働者や農家の人もいて、みんながみんな退職するわけでもなく、退職金をもらえるわけでもないからです。


いずれにせよ、堺屋氏の予測したよりも、はるかに団塊の世代は自ら物言う老人になっていきそうで、間違っても老人福祉予算を削ったりなんかはできなくなるのだろうと思いました。
ただ、この層(やそのジュニア層)だけをターゲットに絞り込んでしまうと、彼らが通り過ぎたあとには、過剰な投資だけが次の世代に残される…という本書が鳴らす警鐘は、いまでも生きていると思います。