『最終戦争論』

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)
石原莞爾・著。
とくに深い意図はなく、終戦記念日も近いから戦争に関係する本を読もうとしていて、ただ「薄っぺらいからすぐ読めそう」*1という理由で、この週末に読んでみました。


筆者についての予備知識は、『帝都物語』で読んで知っている程度のものでした。法華経の熱心な信者で、満州事変に関わったというくらい。あと名前の「莞爾」*2というのが皮肉というか不気味というか…。そんなイメージ。


で、そんな陸軍大学出身の関東軍参謀がぶち上げたのが、稀代のトンデモ本といってもいい、この『最終戦争論』。昭和15年(1940年)の京都における講演を本におこしたもので、当初のタイトルは『世界最終戦論』だったとか。


つらつらと西洋の戦争史を研究した結果、石原氏はそこに一連の法則があることに気付き、その法則に従うと、次に起きる戦争が人類にとって最後になるという結論に至ります。

 戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる──即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。

いわく、最終戦争では「一発あたると何万人もがペチャンコにやられる」ような新兵器が用いられ、「今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になって」いるだろうと予測します。
まあこの辺で終わっておけば、後の核兵器の出現や、それにともなう国際情勢の均衡を思わせたりして、それなりに「鋭いなあ」と思ってそれで終わりなのですが。


そこにむちゃくちゃに牽強付会な人類史観を持ち出して、文明の争いの決勝戦に残るのはアメリカと日本だ、なんて言い出すわけです。

 人類の歴史を、学問的ではありませんが、しろうと考えで考えて見ると、アジアの西部地方に起った人類の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後に太平洋という世界最大の海を境にして今、顔を合わせたのです。
(中略)
 …そうして天皇が世界の天皇で在らせられるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろうと思うのであります。即ち東洋の王道と西洋の覇道の、いずれが世界統一の指導原理たるべきかが決定するのであります。

「東洋の王道と西洋の覇道」って…(苦笑)。何を言ってるんだか。
で、さらにこのあと奇天烈な法華経の解釈を持ち出して、「最終戦争」が訪れる年代を予言するのです。ほとんど「ノストラダムス」の世界。


頭のなかだけで考えた、「ザ・机上の空論」って感じですね。いちおう「第二部」として、この論に対する質疑応答をしているんですけど、「自分は専門家じゃないからよくわからないけど、でもそう思う」的な回答が多く、全然応答になってません。


石原莞爾はのちに東条英機と対立したため、太平洋戦争の際には予備役となっていたそうですが、この『最終戦総論』あたりの考え方が、そのまま「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」とかの思想なわけで。
石原さんご自身は割と無邪気に「文明の決勝戦に残った選手が戦う」とか言ってるだけに、やりきれないですね。
同時代の人たちはどういう気持ちで読んでいたのでしょうか、この本を。

*1:ページ数が。解説入れて124ページ。まあ私はそれ自体としては中身も薄いと思いましたけど。振り返っていま読むことに意味アリ。

*2:かんじ。「にっこりと笑う様」のこと。