『美しい星』

美しい星 (新潮文庫)
三島漬け第10弾。
なんとこの物語の主人公一家は、父親が火星人、母親が木星人、長男が水星人で、長女が金星人…というとんでもないプロフィールなのである。言っておくがこれは細木数子の占いの話ではない。それぞれの惑星からやって来た宇宙人一家が、核兵器を発明して自ら滅びへの道を進もうとしている人類を、宇宙人的愛情をもって救おうとする…という、一見かなりイカレたストーリーなのだ。
それにも関わらず…。三島由紀夫の作品で私が一番好きなのは『潮騒』だが、最も人に薦めたい(読んでもらいたい)のは、何を隠そうこの『美しい星』である。その理由は大きく言って2つある。


ひとつは、この作品に私の故郷の金沢が出てきて、しかもこの上なく美しい街として描かれていること。作中で金沢が描かれる場面は犀川沿いの有名旅館での食事に始まり、加賀の民衆に江戸時代から広まっている宝生流の(?)謡の話に及び、尾山神社のステンドグラスの神門、兼六園から眺める卯辰山の光景、そして内灘砂丘での幻のようなUFOとの邂逅へと続いていく。
もっとも、作中で金沢がまるで理想の都市のように描かれているのには理由があって、読み進めていくうちに2回目に金沢が登場したときには、逆にうらびれた元赤線地帯の光景が書かれていて、その対比がまた強烈なのだが…。


もうひとつは、この物語が「宇宙人の家族が人類を救おうとする」という荒唐無稽な話でありながら「純文学」たりえている稀な作品であるため。
この辺、「じゃあ純文学って何だよ」という区分の問題にも踏み込んでいくので、門外漢の私は強く主張はできないのだが、この小説は少なくともSFではないし、ファンタジーでもない。宇宙人が宇宙人として身動きをする、それでいてリアリズムの小説なのだ。
なぜそんなことが可能になるのかというと、作中に出てくる「宇宙人」は皆「自称・宇宙人」であり、その証拠たる「UFOの目撃」についても、空に浮かぶ光る物体が本当は何なのかは、決して説明されていないのだ。つまり、端的に言ってしまえば「自分が宇宙人だと信じている狂信者たちの話」とも受け取れる語り口なのだ。リアリズムの土俵際ギリギリのところで踏ん張っているというか*1


ところで、「美しい○○」というフレーズはあるカテゴリの人々の興趣をそそる言葉らしい*2
三島由紀夫が師と仰いだ川端康成ノーベル文学賞を受賞したときのスピーチのタイトルは「美しい日本の私」だし、最近でも安倍某さんが『美しい国へ』とかいう本を物した。
しかし三島由紀夫はそんな次元をはるかに超え、『美しい星』について小説を書き、世界平和の可能性を模索している。超演繹法的思考というか、物事を考えるときにここまで大上段に構えてしまえば、些細なことがなんとも思えなくなってくる…ということだろうか。


最近、冥王星が太陽系の惑星から外されるというニュースもあった。
美しい国へ』が話題になり、惑星から矮惑星へ降格した星が出たこの時期に、ちょうどいい読書として皆さんにお薦めしたい一冊である(てきとー)。

*1:奥野健男氏による文庫本の「解説」によると、この作品が書かれる一年ほど前から、三島は空飛ぶ円盤について異様な興味を示し、円盤観測の会に出席したりしていたそうだ…。

*2:どちらかというと右よりな人たちが多用する傾向にある…? 「【B面】犬にかぶらせろ!「美しい」についてのエントリ参照